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Channel: 教育・医療・福祉 –情熱社長~情熱的な社長のメッセージ~
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株式会社ビジネスITアカデミー 代表 田中 裕明

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代表 田中 裕明

代表 田中 裕明

設立 2008年6月12日
事業内容
    • IT関連資格取得に関する講習会の企画、開催及び運営
    • 業務システムの開発及び構築
    • ビジネスITラーニングに関するWebコンテンツの企画、作成及び販売
    • ビジネスITツールの販売
会社HP http://www.bit-a.jp/

自分にしかできない仕事を考える

学生のころは、まさか自分が起業しようと思ったことはなく、
どちらかといえば組織のトップというよりは、
2番手くらいの立ち位置が適任だろうと考えていました。
しかし、間違っていることは相手がどんな立場であろうと指摘するような性格でしたので、
今振り返ると、組織の中で生きていくのには向いていなかったとも思います。

これまでの経験で学んだのは、
部長や課長などのいわゆる現場の管理職として立ち回るのに向いている人と、
起業して経営層として活躍できる人は違う、ということです。

自分と同年代の人を見ると、会社の中で出世している人と、
そうでない人に分かれており、出世している人を見ると、
「こういう人は偉くなる」というパターンが見えてきます。
会社の中で出世していく人というのは、あくまでも組織の中で力を発揮できるタイプで
あり、わたしは組織の中では力を発揮できないタイプだと思ったのです。

実は、起業をしようと考える前に、私は3回転職を経験しています。
私はイエスマンとはほど遠い存在で、会社の方針に従うことを時に拒みました。
年齢を重ね、そろそろ転職自体が難しい年代に近づいたとき、
この会社が最後の職場ではない、と考えた私は、自分らしく仕事をするために
起業という選択肢を考えるようになりました。

私の起業に夢はありませんでしたし、
家族のために下したある種打算的な決断だったかもしれません。

しかし、私は幸いにして前職で営業企画や新規事業立ち上げを経験しておりましたので、
会社を作ったことはなくとも、事業を考えた経験はありました。
事業を生み出す苦労や辛さは身をもって体感していましたので、起業という選択肢を考えたときも、
イメージがつきやすかったというポジティブな面もありました。

起業をするにあたって、私はどんなことで他人に勝つことができるのかを考えました。
大量生産型ではなく、自分たちにしかできない仕事をすることで、それは実現できます。
そこで思いついたのは、企業の業務効率化に直接貢献できるような研修のビジネスでした。

価格勝負では、誰も幸せになれない

研修というものは、大手企業になればなるほど、予算があらかじめ定められており、
やること自体が目的化してしまい、身についているかどうかということは
重要視されていないことがほとんどです。
しかし、中には研修を実施してもまるで身についていない事実に気付いている担当者もいるため、
当社ではそうした担当者に対しアプローチをしています。

当社が手掛けているのは、Excelの研修のほんの一部であり、市場としてはかなりニッチです。
しかし、同業他社ができるような研修内容をやっていては、当社にはまったく意味がありません。
業界で生き残っていくことはできないのです。

しかし、価格だけで勝負していては、企業の体力ばかりが削られ、誰も幸せにはなれません。
サービスに対して適正な価格で受注することは重要なことです。

価格で勝つ者は、また価格で負けることになります。
そのためサービスに付加価値を見出し、価格競争にとらわれることのない
ビジネスをしていきたいと考えています。
それも、単に他社と違いがある、というのではなく、
クライアントにとって意味のある差別化をしていく必要があります。

常にクライアントに選ばれ続け、
必要とされるようなサービスを提供する企業でありたいというのが、わたしのこだわりです。

オーダーメイドの研修で、本当に身に付くスキルを養う

当社の研修の特徴は、クライアントの要望に併せて研修内容を組み替えるという
オーダーメイドであるということです。
たとえ、わずかなニーズだったとしても、そのニーズを実現できるような研修を提案することで、
よりお役立ていただけるような研修にしたい、というのが私の思いです。

現在、同業他社には2パターン存在しています。
ひとつめは、基礎知識ばかりを教え、その先につながるような教育をしないパターンです。
もうひとつは、非常に高度な知識を教育しようとし、受講者のスキル向上に繋げていないパターンです。
同業他社の間でもこの差があまりに二極化しすぎており、結果として
「Excelの講習など何の役にも立たない」という風潮を作り上げてしまっているのです。

「無期限サポート」「再受講無料」と謳ったパソコンスクールもありますが、
それは裏を返せば「一度では身につかない研修をしている」ということです。
Excelの研修はそんな遠回りなものではなく、受講したその場で理解でき、
すぐにでも実践できるような技術を教えるようなものであるべきです。

そのため、当社は同じ講座に何度も来させるのではなく、一日で完結させ、
また次のステップの講座に進めるような内容にしています。
しかし、実態は、たった今話した内容を質問してしまう受講者も一定数いますので、
まだまだ内容の改善余地はあると思っています。

ITを使いこなして最高のビジネスパフォーマンスを

「ITを使いこなして最高のビジネスパフォーマンスを実現」というのが
創業当初から掲げる経営理念です。
Excelを使った事務処理というのは、あくまでも業務効率を上げるためで、
ここに時間を取られていては、いつまでたっても本質の仕事に進むことはできません。

営業ならばお客様と会って、提案をして受注することが本来の仕事ですし、
事務職であっても請求書の処理や見積書の発行など、日々のルーティンワークは
Eexcelを使って簡単にできるようにし、どんどん新しい仕事に挑戦していかなければなりません。
本来の業務に時間の割合をシフトさせ、仕事を早く終わらせて一人でも多くの人が
少しでも残業時間を短くすることで、コスト削減にも貢献できます。

かねてから人材不足が叫ばれ、業務効率化は急速かつ確実に進めていかなければなりません。
当社の研修が早期な効率化実現に貢献できればと考えています。

会社を簡単に辞めることが不幸の始まり

学生の皆さんには、きちんとした就職活動をしてほしいと思っています。
一生懸命企業のことを調べ、時間をかけてエントリーシートや履歴書を書き、
何度も面接に足を運んだような企業であれば、簡単に辞めることはないように思います。

会社は簡単に辞めるようなものではありません。
何年もの長い時間をかけ、自分のスキルや経験を養っていくことで、
社会人としての力は身に付いていくのです。
スキルがなければどこにいっても「使えない人」として
レッテルを貼られることとなってしまいます。

近年はたった2,3年で会社を辞めてしまう人が後を絶ちません。
しかし簡単に会社を辞めてしまうことこそ、不幸の始まりなのです。
20代のうちは、年齢も若いので転職先は見つかるでしょうが、転職を繰り返すことで
段々と条件が悪化していき、短いスパンでの転職を繰り返した結果、何のスキルも
身についていないとみなされ、どこの企業からも必要とされなくなってしまうのです。

会社が自分に合わせてくれることはありませんから、自分の常識が通用しないということも多々あります。
また、会社というのは不平等なところで、自分が優遇されたければ努力するしかないのです。

努力しても努力しても、なかなか結果が出ず、途中で挫折してしまう人もいます。
しかし、成長とは、蓄積により道が開けたように突然大きな進歩を遂げるものなのです。
だからこそ、若いうちにとにかく努力して、他人に簡単に追いつかれることのない差を広げることが大切です。
そうすれば、会社にいるのが非常に楽になるでしょう。


株式会社教育と探求社 代表取締役社長 宮地 勘司

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代表取締役社長 宮地 勘司

代表取締役社長 宮地 勘司

設立 2004年11月26日
事業内容
    • 教育プログラムの提供
    • 研修/学校コンサルティング
会社HP http://www.eduq.jp

アートが好きなのに新聞社入社?

大学を卒業したのが88年。
学生時代はまさにバブル期真っ只中で完全に売り手市場でしたが、
私自身は就活に対しての意識はそんなにありませんでした。
父が飲食店を自分でやるような事業欲旺盛な人で、
幼い頃からその姿を見て育ちましたので、
自分もサラリーマンになるより自分で何かをやる方が
面白そうだなぐらいには考えていましたね。

子どもの頃から美術やアートに興味があったので、
当時の夢は芸術家になることでしたね。
そんなふうなので、就職先に関してはメーカーなどはまったく興味がなく、
将来もしかしたら起業するかもという意識で金融、商社、
マスコミに入れたらいいなぐらいに考えてました。
日経新聞に就職したのは単純です。
ずっと読んでいたからです(笑)。
そのおかげか筆記試験も突破し、広告局という部署に配属されました。

広告局では企画を考えたり、食品や流通企業への紙面の広告提案などをやっていました。
テレビ局に出向して新局の立ち上げに携わったりしながら
結局新聞社では17年間にわたり勤務をしました。

2001年春の夢

2001年に「日経エデュケーションチャレンジ」を立ち上げました。
これは企業の経営者や技術者たちが講師となって、
高校生に対して夏休みに授業を行う1日だけのサマースクールです。

このイベントを立ち上げようと思ったのは実は夢を見たからなんです。
当時、業績低迷に苦しんでいた日産をV字回復に持ち込んだカルロス・ゴーン社長や、
フリースが爆発的ヒットをして一躍有名になったユニクロの柳井社長が
「ビジネスは最高にダイナミックだ!」と熱く語るのを高校生が
車座になって見ているという光景を夢で見たのです。
思わず飛び起き、慌ててメモに書き残して、そのまま社内で提案しました(笑)

「日経新聞は大学生になってから読めばいい」「教育事業は儲からない」と
あまり相手にされない中で、唯一興味を持ってくれたのが当時日本経済新聞社の副社長から
グループ会社のトップに転出したばかりの佐久間さんでした。
佐久間社長のコミットのおかげで、結果的には人々が動き出して
そのまま同年夏にはサマースクール開講となったのです。

イベントをやってみてもっとも印象的だったのが高校生たちの目の輝きでした。
どの子も真剣な眼差しで大人たちの授業に聞き入っていますし、
自分たちにも何かできるに違いない、と彼らのエネルギーがふつふつと
たぎっていくのをその場で感じました。

時代はコギャル、ガングロ、オヤジ狩り全盛の時代で、
子どもたちは不祥事を続けてテレビで謝罪ばかりしている大人たちに憤りを感じていたし、
そもそも大人たちが子どもに対して怖がっていました。
しかし、このサマースクールでは両者の間のそんな壁を感じることがなかった。
大人が熱く語り、それを受けた子どもたちの感性が開き、
熱を帯びていく姿を見て、
「この仕事を一生の仕事にしよう!」と強く決意したのをよく覚えています。

もっと多くの学生に素晴らしさを広めたい

ただ当たり前のことですが、新聞社の仕事はこの他にも沢山やらなきゃいけないことがあって、
たった1日のイベントだけのためにそんなに時間を割けない。
しかもこのイベントに集まった高校生はせいぜい300人程度ですが、
全国には300万人の高校生がいる。
この素晴らしい体験をもっと多くの高校生に経験してもらいたい!と思ったので、
新聞社の中に教育事業部を立ち上げようと考えたんです。

まず初めに取り組んだのが事業計画書作成です。
今まで事業計画書なんて書いたこともありませんから、
参考になる本をとにかく読み漁りました。
その年は、年末年始の正月休みをすべて返上し、
部屋に籠もりきりで最初の事業計画を書き上げました。

早速書き上げたものを上司に持っていくと「いいね。その内やろうか」という生返事。
新規事業に対する真剣味あまり感じられなかったので、
それじゃ自分でやろうと仲間を集め始めました。

集めたのはラジオの放送作家やグラフィックデザイナー、ITエンジニアなど
いわゆる教育界とはかけ離れた人たち。
日経新聞がやるからには、「企業」「私の履歴書」「マネー」をテーマに、
全国の高校生が「生きた社会を学ぶための教科書」を作るのが目的でした。
何度もブレストを重ねる内に、本当にこんなもの求めている人がいるのかと
さまざまな不安も沸きあがりました。

そんなときこそ、前に踏みこもうと思い、渋谷教育学園の田村理事長を訪ね、
このようなことを考えているんだけどどうでしょうか?と相談しました。
田村理事長は
「おもしろいよ、やってみなさい。うちの生徒だったら喜んで実験に協力してくれるよ」
との回答をもらい、夏休みに試験的にやってみることが決定。
準備の時間も短かったですが、やってみるとこれが大成功!
実はこの学校の生徒さんがかなり優秀だったんですが、自分としては
これはいける!やっぱり教育事業は脈ありだと思って進めていくことになったんですよね。

会社が動かなければ自分で動く!

自信をつけて社内攻勢に力を入れましたが、相変わらず社内の動きはとてもスロー。
面白そうな話だから、いつか時期が来たらやろう、みたいな感じで、
死ぬか生きるかこれをやってみよう、みたいなモードは当然無いわけです。
やっぱり自分で何とかするしかありませんでした。

そんなある日、新聞で松下電機(当時)がスピンナップファンドと称した
社内起業プロジェクトをはじめたという記事を見ました。
100億の原資を用意して、社員の中から面白いアイディアを持っている人を起業させ、
10人の社長を出すという取り組みでした。
「これだ!」と思い立ち、社内の誰にも相談せずにすぐに連絡。
松下電器とのシナジーを生み出すことを前提に、
1億円までなら出資してもいいという内諾をいただきました。
また、私は当時NTTも担当していたので、政府のe-Japan構想を推進するNTTグループに、
学校のIT化を軸に出資を打診しました。

そこまで土壌を固めておいたら次はいよいよ社内です。
目当ての副社長に持ち込み、日経が教育事業をやる意義と
渋谷教育学園でやった実験授業の結果、
そして、松下電器の出資が内定していることを伝え、
「もしやらない場合は副社長が松下の中村社長に謝りに行ってください!」
といって口説き落としました。

チーム発足から解体

プレゼンは成功し、社長からも許可が下りました。
いきなり別会社設立とまではいきませんでしたが、既存事業と新規事業は
折り合いが悪いだろうということで、新しい教育の事業は、広告局ではなく、
社長室の直下に作ってくれました。
ここまでの流れはずっと水面下での話。
広告局の直属の上司は一切知る由もありませんでした。
こうして新入社員1人を引き連れた総勢2名の教育チームが発足したのです。

発足したのが2002年10月の話。
なんとしても翌年、2003年4月からの新学習指導要領綱の実施にあわせて
動き出したいと思っていました。
担当役員からは、「宮地のプログラムを導入してもいいという校長先生が20人いたら、
はじめることを許してやろう」と言われ、新入社員とふたりで関東平野を駆け巡り、
なんとか20校を集め、無事スタートすることができました。
しかし、半年もしないうちに新聞社の社長が代わり、新規事業に対する方針が変わり、
私の教育事業は一旦棚上げとなってしまいました。

どうしたものか…と途方にくれてしまいましたが、
これを一生の仕事とすでに決めていたので
会社を辞めてでもやろうと腹をくくりました。
正直言えば、住宅ローンと2人の子どもを抱え、大変な恐怖がありました。
会社の仲間からは「40歳過ぎて会社を辞めて起業するなんて、
新聞記事の中だけの話だと思っていた」と言われました。
この事業に出資を検討していた会社も、日経を辞めた私には魅力を感じなかったようで
次々に出資を取り消していきました。しかし、捨てる神あれば拾う神あり。
何人かの心ある人に出会い、資本金を集め、2004年11月に会社設立に至りました。

教えられるのではなく、自ら学び取っていくプログラム

教育と探求社の事業内容は主に「クエストエデュケーションプログラム」を
学校に提供することです。
ただ単に教材を提供するのではなく、カリキュラムを売っていると思っています。
生徒へのワークブック・インターネット教材・先生の研修までを1セットにした
システムです。まだまだ規模は小さいですが、
差別化という意味では相当オリジナリティが高いと思います。

このプログラムは学校教育ではなかなかできない、主体性や創造性を育むためのプログラム。
「生きる力」や「社会人基礎力」や「21世紀スキル」など、様々に呼ばれていますが、
要は大人も子どもも、この領域の能力が著しく欠けていると思うのです。
だから、その力を身につけるきっかけを学校の中で得て欲しい。

自分自身と向き合うことでもっと自分の能力、素晴らしさに気づいてもらいたい。
一人ひとりがもっと充実した、自分ならではの人生を送れるようにするために、
若いうちからそんな芽を育てていきたいと思っているのです。

求める人物像にもつながりますが、大事なのは自己肯定感を持つこと。
「I am ok」の精神です。
自分を肯定していないと相手も肯定できない。
言い換えれば自分を肯定して初めて相手を認めることができますし、
協調性も生まれるのだと思います。
そして創造性とは生まれ持った才能ではありません。
実際に前に踏み出してみる勇気のことだと私は思います。
時に先が見えなくとも、前に踏み出すことで新たな局面が広がっていき、
そこに道ができていく。
勇気をもって自分の道を作り上げていってください。
これからの道を作るのはあなたたち若者です。
応援しています。

株式会社ジーンクエスト 代表取締役 高橋 祥子

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代表取締役 高橋 祥子

代表取締役 高橋 祥子

設立 2013年06月20日
事業内容
    • 遺伝子解析サービス
会社HP https://genequest.jp/

より良い遺伝子研究のために

私は現在も大学の博士課程に在籍し、研究を続けています。
もともと起業したいというよりも、
ずっと大学に残って遺伝子の研究をしていくつもりでいました。
昨年同じ研究室の先輩である齋藤とこの会社を作ったのは、
ひとりで研究して成果をあげるよりも、データをより大規模に集め、
研究が加速するような仕組みを創りたかったからです。

弊社のサービスは、遺伝子研究の成果を元に提供されるわけですが、
このときサービスと研究とは相互に影響しあう関係にあります。
つまり、お客様に参加していただくことで新たにデータが蓄積され、
それによって研究が進み、サービスも更新される、
というサイクルになっているのです。

現在の科学で、遺伝子について分かっていることは本当にごく一部に過ぎません。
この研究が進まないと、遺伝子への人々の認識が止まってしまいます。
どんどんデータを集積し、新しい知見を加速しつつ出していく、
そういうサイクルを確立しないと、ゲノムという有用な情報を使っていけないのです。
そういう危機感があったため、会社を作り、このサイクルをスタートさせました。
もちろん、素直に遺伝子とその利用への探究心が
強くあったためということもありますが。

研究に軸を置いた独自の遺伝子解析サービス

もともと同じビジネスモデルによる会社がアメリカにあるのですが、
弊社サービスはそれを日本に初めて導入したものです。
アメリカのシステムを日本に持ち込み、独自に改良させていくことには、
サービス上でも研究上でも非常に大きな意義があります。

それはアメリカの人々と我々日本人とでは、
遺伝子情報が全く異なっているからです。
そもそも、遺伝子は人種によって全部違っています。
体格や肌の色、髪の色といった外見からして、相違点はいくらでもありますが、
その違いは全部遺伝子から作られているものです。
当然、外見には現れない体質や、病気への罹りやすさ等の要素についても違うわけで、
そこでアメリカでのシステムをそのまま持ってきても、
日本人にとって有用なサービスを作ることはできないんです。
そのためにも、弊社では主に日本人やアジア人向けのサービスを提供しています。

直近ではDeNAさんも同じようなサービスをはじめられましたし、
これから日本でもこういった遺伝子解析サービスは増えてくるでしょう。
現段階でも、遺伝子検査を行っている会社はいくつかあるのですが、
そのほとんどが、たとえばダイエット等、
ひとつの目的に関する遺伝子を1、2調べて、
そこに対してサプリメントを提供していくようなモデルをとっています。
そのような他社さんでは、もともと研究を目的としていないので、
そのレベルでの遺伝子解析利用にとどまっているわけです。

これに対して、我々はゲノムという遺伝子の全データを解析してしまいます。
お金や手間がかかる作業ではあるのですが、
研究に軸を置いた活動を進めていく上で、必要なこだわりだと考えています。

もともとこの遺伝子解析サービスという一点だけのビジネスを
しようとは考えていなくて、データを解析して何ができるかとか、
データを活用してその先にどんなビジネスに利用できるか、
というようなデータビジネスを行っていく計画でいるんです。
だから、まずは膨大なデータを集めることが一番大事で、
そこから多様なソリューションにつなげていくということが事業上の狙いになります。

解析によって得られる情報とは

お客様は、遺伝子解析を受けることによって、
潜在的な病気のリスクと体質について、ゲノムから知ることができます。
病気のリスクでいうと、たとえばどういうタイプのガンになりやすいのか、
糖尿病や高血圧になりやすいかなりにくいか、といったこと。
それから体質については、アルコールに対する耐性から、
血圧の傾向、乳酸値の上がりやすさといった一般的な健康診断の項目まで調べられます。

現段階でデータとして提示できるのは200項目ほどです。
そしてここが弊社のサービスの大きな強みなのですが、
先ほど述べたとおり遺伝子の全データを採取していますので、
今は何に関係しているのか分かっていない遺伝子についても追って報告できるんですね。

遺伝子は世界中の研究機関で日々研究されていますので、
今日分からなかったことも明日になれば分かっている、という可能性があります。
世界からの新しい分析結果をどんどんキャッチし、蓄積していくことによって、
こういう新しい項目が分かりましたということを
逐一お知らせしていくことができるわけです。
遺伝子データは一生変わることがありません。
だから一度検査を受けていただくだけで、
一生の間サービスを受けることができるんです。

身近なところでいうと化粧品なども、
人によって合う合わないということはすごくありますよね。
そういう項目についても解析を通じて分かってくると思います。
いずれは理解が体に関するあらゆる部分に及ぶことになるので、
そのときに弊社の膨大なデータが役立つことは間違いないでしょう。

認知度向上とプラットフォーム化が目標

長期的なビジョンとしては、データを更に集めて研究を続けていくこと。
これがもちろんありますが、一方でお客様に対しても、
もっと付加価値のあるサービスを提供していくつもりです。
そしてそのためには、何よりユーザーを増やさなければいけない。
だから、遺伝子解析サービスを社会に認知させていくことが
現在の一番の課題ですね。

実感としては、昨年と今年では認知度がかなり変わってきていると思います。
昨年のニュースで、女優のアンジェリーナ・ジョリーが
遺伝子検査をして、乳がんのリスクが高いということで
乳房を切除したというものがありました。
そのニュースがあってから、だいぶ遺伝子検査というサービスへの注目度が高まりました。
業界自体もすごく注目されていて、各メディアからの問い合わせも頻繁にいただきます。
今後は他社さんとも提携しつつ、
業界全体で遺伝子検査の重要性を広めていければと考えているところです。

将来的にサービスが普及し、100万人単位のユーザーを獲得した暁には、
自分の遺伝子情報を自分で知っていることが当たり前の世界になっているはずです。
そこで弊社が集めた膨大なデータがすごく役立つと思っています。
その段階に達した頃には、全員に同じサービスを当てはめるだけはダメで、
個人個人に合わせたヘルスケアを考える必要が出てくると思うのですが、
それを提供するためには、弊社の細部にわたる遺伝子情報が不可欠だからです。

そういう意味でも、この業界がそういう質的充実を目指す段階に移行したときに、
プラットフォームのような存在になっていたい、というのは大きな目標ですね。
さまざまな機関が連携・協力するハブとなるような組織を目指したいし、
まずはブレーンとなるような研究者を集めていきたいですね。

学生へのメッセージ

私自身も学生ですので、大上段からアドバイスはできないのですが、
ひとつ言えるのはどんどん挑戦してみるべきだということです。
挑戦したくても、リスクを考えて踏み切れないという人は沢山いると思うんですが、
何十年後かの自分の気持ちを想像してみると、
「そんな昔のこと、大したことなかったな」と思っているはずなんです。

私自身も、何か挑戦するときにはいつも自分と状況を客観視して考えます。
そうやって考えると、何でも挑戦できる気がするからです。
今までの自分の経験を振り返ってみても、怖いと思っていたことが
実際にやってみれば大丈夫だったという場合が多くありました。
だから、何にでも挑戦してみるべきだと思いますよ。

株式会社シェアウィズ CEO 辻川友紀

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CEO 辻川友紀

CEO 辻川友紀

設立 2012年2月2日
事業内容
    • 無料学習サービス『ShareWis』の運営
会社HP http://share-wis.com

研究の日々と学会

藻(も)の研究。
それが大学院に進んだ私がやっていたことです。
ある種の藻は二酸化炭素を効率よく溜め込むことができる、
そのメカニズムを解き明かす。

毎日が実験、研究の日々。
そんな研究者一直線の路線を進んでいた私に、
ある時、心変わりする出来事がありました。

それは、とある学会でのこと。
自分の研究内容を発表した後。
私の研究内容に興味を示してくれた海外の研究者から一緒に研究しないか?
と誘われたのです。
その時、これまでの努力と苦労が実を結んだな、と思ったのではなく、
自分のアイデアを発信することが、まさか他の人の心を動かした。

この事実に驚くとともに、
これは研究者よりも面白いかも、そう思い始めたのです。
つまり、自分のアイデアが他人を、そして世の中を動かせる。
それができる仕事って、じゃあ何なのか?
それこそが、ビジネスの世界だったのです。

30歳までに起業する

研究者だった自分に、どんなビジネスができるのか?
考えた末に、私が選んだのは教育という分野。
研究と教育って、どこか似ているような気がしたんですね。

ともあれ、この分野で新しいサービスを作り、自ら会社を立ち上げる。
そしてそれを30歳までに実現する。

そう決めて、まず始めたのが就職でした。
起業する資金もない、そして経験もない。
だからまずは会社に入りビジネスの基礎を学ぶことにしました。

そして、働きながら、自分や会社の同期の知恵を借り
教育分野での新サービスを、少しずつ形にしていきました。

そうして2012年に、
株式会社シェアウィズを立ち上げることができました。

利用者の声をカタチに

自社サービスをより強化するのは当たり前のこと。
当然、私も考えました。

『どうすればもっといいサービスを提供できるのか?』

ただ、自分一人で考えるには限界がある。
そこで私は、お客様から生の声を聞こう、と考えました。

具体的には、一定以上のサービスを利用したお客様に
『直接会ってもいいですか?』
とアンケート形式でお願いする。そんな形で協力者を募りました。

実際、会ってくれた方は沢山いらっしゃいました。
特に私が驚いたのは、その方達の多くが真剣に考えてくれていたこと。
サービスの改善点、問題点、もっとこうした方がいいと思う、など。
逆に私からサービスの新機能の話をしてみれば、
それは必要ないからと、リアルな回答をしてくれることも。

共通して言えるのは、皆さんとてもいい人達だったこと。
弊社の事業が学習サービスなので、利用される方も真面目な方ばかりでした。
中には居酒屋で盃を酌み交わしたこともありましたが。

ともあれ、そういう生の声をたくさん聞くことができた。
そして、それをカタチにできている。

それはお客様の望む形に仕上がっているということ。
これは相当な強みだと思っていますね。

学生時代と今のつながり

研究者としての自分と、経営者としての自分。
これらは、何ら共通点が無いように見えて、実は違います。

研究者は、生物の研究をする中で、
異なる分野の研究者やその研究から、様々なアイデアを得る。

経営者は、自社おサービスをよりいいものにする中で
お客様の生の声を聞き、それを反映させていく。

つまり、他の誰かから話を聞いてアイデアを得て、
そこからより深く理解していいものを作り上げる。
そんな手法は、研究者も経営者も同じだったのです。

つまり研究者としての経験をビジネスの世界で活かすことができる。
意外なことでしたが、確かなアドバンテージとして
徐々に実感している最中です。

海外展開を視野に

実は、日本よりも海外の方がキャリアステップに対する意識が高いのです。
それは、弊社の事業である教育事業。
とりわけ、社会人向けの教育事業というマーケットの規模も、
日本より世界の市場の方が大きいのです。

では何故、日本人の意識が低いのか?
例えば、英語を学ぶために英会話教室に高額の受講料を支払い受講する。
ですが実際は、その意識の低さ故に、日本人は英会話教室に通っていることで満足してしまう。
『英会話教室に通っているんだからきっと英語が話せるようになるだろう』
そんな安心感で満足してしまい、時には英会話教室に通わないこともあります。

対して海外は違います。
学びたいスキルを持っている友人からでも必死に学び、
そして年収何千万円で大豪邸に住んでいる。
そんな方が沢山居ます。

それ故の意識の差は、結果としてマーケットの規模の差にも繋がっているのです。

市場規模を考えるのなら、今後は海外展開も視野に入れているのは当然のこと。
しかし、私は、日本人のキャリアステップに対する意識を変える。
そんなことも考えています。

また飲みたい人と働きたい

プログラミングの高いスキルを有している方。
あるいは、マネージメントの経験を有している方。

今後もコンテンツの強化に努めていくならば、
より高いスキルを持った人材を獲得して、チームとしてやっていくべきでしょう。

しかし、チームとして共同でやっていく以上例えば足並みを揃えることや、
目標に向けて仲間と一緒に働ける。
そんな簡単なことが何より重要になります。
というより、私はスキルとかよりもこれらを重要視しています。

結局のところ、スキルを持っていても一緒に働いていて面白くなかったり、
同じ部署に居てギクシャクしては、チーム全体のパフォーマンスの低下にも繋がります。

だから、実力もさることながらそんな働きやすさ。
もっと言えば一緒に酒を飲みに行って、もう一度飲みたくなる。
そんなことも重要だと思うのです。

もちろん経営者として、そういった意識で組織づくりを徹底しないといけません。
ですが、これはこれから入ってくる方々にも意識してもらいたいこと。

こんなことに着目して、仲間を増やしていければと思っています。

株式会社ジェイトップネットワーク 代表取締役CEO 菅野 公紀

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代表取締役CEO 菅野 公紀

代表取締役CEO 菅野 公紀

設立 2000年6月
事業内容
    • スクール運営事業
    • プロダクション事業
    • 指導者育成事業
    • 販売及び特許ライセンス管理事業
会社HP http://www.jtopnet.co.jp/

しがらみからの脱却を目指す

大学卒業後、普通にサラリーマンを続けていた私は、
はじめから起業への想いを持っていたわけではありませんでした。
当時はいわゆるバブル時代。
上場企業であれ、大手企業であれ、どこも人手をほしがり、
簡単に内定を取ることのできる時代でした。
例にもれず私も、時代の恩恵に授かり大手メーカーへと就職を果たすことになります。

大きいところに行って、大きなことを成し遂げたい。
その時、私はそのようなことを考えていましたね。
大きい傘の下に入っていたほうが、
大きなことを可能にすると当時の私は考えていたのです。
しかし、その想いが叶うことはなく、
その会社の一社員として二年を過ごして転職することとなります。
大手の中、自分が歯車に過ぎないという事を、その時に強く感じましたね。

大手企業には様々なしがらみが付きまといます。
取引先との関係、上層部と末端の差など、
様々な要因が大手ならではの仕組みを生んでいます。
その仕組みを知ることができたという意味では、
その二年間は決して無駄ではなく、
むしろ、その二年があったからこそ、今の私があるといえますね。

ダンスは好きな人と踊りたい

大手の企業にいて感じた一番のしがらみは、
先述した取引先との関係でした。
本当に良いものを提供する会社ではなく、
これまでの関係を重視した会社としか取引を行えない。
この状況に疑問を持ち始めたのです。

もっとオンリーワンの人や企業とつながり、
ネットワークを作り出していきたい。
その想いが、ジャパントップネットワークという会社を作り出したのです。
やはり、ダンスは好きな人と踊りたいでしょう。

とはいえ、当時転職したばかりの私は、まさに井の中の蛙にすぎませんでした。
新しい職場で、私はまったく活躍できなかったのです。
大手企業に勤めていた時は「新人営業にしてはやるな」などと言われ、
いい気になっていました。
しかし、それは私が疑問に思ったしがらみが生んだ成績に他ならなかったのです。
取引相手は皆が身内のようなもの。
そのような環境において、失敗などしようがないのです。

ここから私は、精進の日々を送ることになります。
土日を使って研修会へ。
そこでは、様々な場で活躍し散る人と出会うことができました。
このような場に来てる人は、皆成功している人であったのです。

本当に必要な人へ

その後、起業へと至るのですが、その研修会に来ていた人と同じことを、
弊社が業務を行う環境にも重ねる事が出来ます。
ある成功している人が、より上を目指すために来ているのであって、
本当にその研修が必要な人はそこにはいませんでした。

同じように、本当に健康になるべき人が、
弊社のスクールには少ないように思えるのです。
健康になることを考えていない人たちにこそ、本当は知ってほしい。
そのためにどのように動いていけばいいか、
それが現在の課題の一つとなっています。

状況の改善には、いくつかの方法があるでしょう。
一つは、こちらから出向いて行って直接伝えていく方法。
しかし、まだまだ必死に運営をしている現在、
そこまでのことはできませんね。
一番現実的なことは、新しい地に進出していくことだと私は考えています。
より多くの場所に、スクールを展開していき、その地の人々に利用してもらうこと。
これが、現在目指すところですね。

様々な展開を目指して

このような展開は、なにも日本の中にとどまる話ではありません。
日本の主要都市を離れて、アジアの国々への展開も視野に入れて動いています。
具体的には五年以内をめどに、展開をできたらと考えていますね。
アメリカやヨーロッパ、あるいは韓国や中国などの
アジアの中でも発達してきている国々ではなく、
やはり今は発展途上の国々が目を向けるべき場所でしょう。

そのような、これからを作り出していく国々と手を取り合って、
新たなステップを踏めたらと思います。
実際に、香港からスクールに習いに来て、
帰国してインストラクターをしている人もいます。
そのような展開が今後も増えていくといいでしょう。

また、現在弊社は通信制高校も運営しており、
三年間で高卒の資格を取ることができます。
高校を始めた当初は、
芸能界で働いているような子どものみが資格を取るために通う場所でした。
しかし現在は、学校になじむことのできない子、
不登校や引きこもりの子なども通う場となりつつあります。
好きなことを通じて資格を取り、その先の大学へとつなぐことができるのです。
そのような展開を見せる中、徐々に大学の仕組みなども作っていけたらと現在は考えています。

1+1で3以上を狙え。

現在、日本の人口は一億二千八百万人。
弊社が目指すのは、その人口に対して1パーセントの規模。
すなわち、一万二千八百人。
それだけの規模を目指していきたいという事ですね。
数値的にみると、それを可能にするには最低でも10か所の都市で展開することが必要です。
それに向けて、より一層の進歩をと考えているのです。

弊社は、現在120ほどの講師やパフォーマーを採用しています。
その人たちがどのような環境で輝くのか。
その環境作りも、大切なことです。
優秀なスポーツ選手がいたとして、その人だけが突出していても、
決して優秀な成績は残せません。
必ずそこには周りをサポートする人たちがいるはずなのです。
当然、エージェントだけが輝くのでもいけない。
お互いが尊重しあえる環境。
フィフティーフィフティーで尊重しあえる環境を提供することが大切だと私は思います。

このような環境が整えば、1+1で3以上を生むことも可能になるのではないでしょうか。

Willがスキルを生む

この業務には、特別な資格が必要という事はありません。
ただ、心がある人、意志がある人でなくてはならないのです。
興味があり想いを持っている人であれば、
その人のWillはスキルを生むことになるはずです。
そのような思いを持った人に対して、良い環境を弊社は提供できると思います。

たとえば、経費や営業利益の面。
弊社では、これらの数字をすべて見せていくガラス張りの経営を行っています。
本当のことを見せていくことで、本人も疑いを持つことなく、
そして改善に向けての努力をするもの。
そこから出てくるパフォーマンスに対して、
素晴らしいと言ってあげられる環境が弊社では整っているのです。

また、弊社に限った話でなく、このような想いを持った人物、優秀な人物は、
ベンチャーという環境に身を置くべきだと思いますね。
冒険する人が少なくなった現代。
車を持たない、旅行しない、女の子に御馳走しない。
このようなことなかれ主義の人が多いようです。
この意見がおやじくさいんですけどね(笑)
しかし、勇気を持って行動できる想いを持った人には、ぜひ弊社のような、
ベンチャーという場を見てほしいと思います。

株式会社ブレイバンステクノロジーズ 代表取締役社長 山田 和則

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株式会社ブレイバンステクノロジーズ 代表取締役社長 山田 和則

代表取締役社長 山田 和則

設立 2008年12月
事業内容
  • 情報システム及び通信ネットワークの企画・設計・構築・運用・監視・保守業務
  • 情報システム及び通信ネットワークのテクニカルサポート/コールセンター業務
  • モバイルアプリ、Webシステムの企画、開発業務
  • ITエンジニアのキャリアデザイン・育成・紹介/事務業務のアウトソース
会社HP https://www.bravance.co.jp/

起業までの道のり

もともと、私はITにもパソコンにも全く興味がない人間でした。
大好きだったのはロックで、学生時代も音楽活動に明け暮れていたのですが、
やがて卒業の時が近づくにしたがって、
現実的にこれを仕事にはできないなと悟りました。

就職氷河期だったこともあり、
自分の進むべき道が分からない、苦しい時期でしたね。
そんななか、IT業界に向かったきっかけは、
テレビ番組でネットワーク機器やサーバーマシンを見て、
「何あれ?ギターのエフェクターみたいだ!」と思ったことでした。
すごく些細なところから、エンジニアへの道を歩きはじめたわけです。
以降ネットワークシステムについて一から独学し、
大手SI(システムインテグレーター)企業へと入社しました。

それからはしばらくの間エンジニアとして働いていたのですが、
起業前に籍をおいていた会社では営業職も経験することになりました。
新規事業の手伝いということで、数人の仲間と大手から転職したはいいものの、
立ち上げたばかりで、お客さんが全くいない状態だったからです。
営業の経験などなかったので、どうやって営業したらいいかも分からず、
高層ビルの上から下まで飛び込みで訪問したりもしていました。
ただ、そうやってがむしゃらに仕事をするなかで、次第にコツも掴み、
お客様も徐々に増えていきました。

独立を決意したのは、その会社に移って2年半ほど経った2008年9月。
お客様の応援に後押しされてのことでした。
その矢先にリーマンショックが起こり、予想以上に苦悩の船出でしたが、
何よりこれからしたいと思っていることに夢中だったので、
「なんとかしてやる!」と押し切って、同年12月に弊社を設立しました。

理念ある、強い企業へと成長

社名の「ブレイバンス」は、Brave(勇敢)とAdvance(前進)を組みあわせた造語です。
どんなに困難な状況でも、常に果敢に挑戦し前進し続ける技術集団でありたい。
そんな思いを込めて名づけました。

実は設立当時、不況のなかで経験者のみを中途採用していた影響もあって、
会社としてこのような志を体現できていない部分がありました。
つまり、組織としての足並みが揃っていなかったわけですが、
6年を経た今では会社としてより純度が高い、強い集団になれたと自負しています。
真剣に組織づくりを考えて、企業理念をしっかり設定し、
それに沿った行動指針、評価基準も連動させて作ったことが功を奏しました。
そのことによって、組織を作る軸がはっきりして、
企業理念に共鳴した人間が門を叩いてくれるようになったんです。

私自身も当初は、エンジニアは即戦力、技術力至上主義で採っていましたが、
考えが変わって、会社の指針に賛同してくれる人のほうを優先するようになりました。
たとえ入社の段階で技術力がなくても、意欲を持った人ならばすぐに力もつくはずだし、
今のスキルに甘んじている経験者にはあっという間に追いつき、
越えていけるものなんですよ。
そのことに気づいてからは、社長として、エンジニアを教育していくこと、
そして理念と指針を浸透させていくことに力を注ぐようになりました。

「ファンタジスタ」を増やしたい

今のブレイバンスは、ひとりひとりの団結力、情熱が高い「熱狂的な集団」です。
土日も眠らない会社で、毎日誰かしら会社に来て、
自発的に技術の講習会や勉強会をするようになっています。
私は基本的にそういう活動にも仕事の内容にも、口を出したりしません。
そこはそういった社員の情熱、自発性に任せたいと考えています。

私がすべきことはとにかく会社としての考えを浸透させることだろうと考えているので、
日頃の理念の提示、そのための仕組みづくり、そして採用活動にほとんどの時間を割きます。
月1度の報告会では皆に徹底的に話をしますし、1年の間で必ず全メンバーと食事して話せるように、
「社長と語る会」も開いているんです。

仕組みづくりの面では、たとえば評価制度ですね。
理念を理解し、成果を上げたメンバーは「ファンタジスタ」に認定することにしています。
このファンタジスタのなかから、新たな幹部を出していくことになります。
また、成果以外でも、日頃の言動に会社の理念がしっかり表れている社員は、
「MBP(Most BraVance Person)」として表彰しています。
これからMBP、ファンタジスタがもっと増えて、社員同士で啓発しあえるようになれば、
会社としてもどんどん成長していけるでしょう。

採用活動では、中途採用よりも新卒採用を重視しています。
もちろん中途も重要な採用口ですが、その場合も異業種の未経験者を採用します。
板前、アパレル店員、ギタリスト…様々な前歴の持ち主に働いてもらっていますよ。
この会社で一から学ぶことで、ブレイバンスの一員としての仕事のスタイルを、
まっさらな状態から育てていってもらいたいと考えています。

「人」を最大の強みに

会社としての最大の強みは「人」です。
現在、各社がサービス面では劇的な差を作れない状況になっているなかで、
違いになりえるところを考えると、
やはり人材一点にかかってくると思うんです。

ディズニーランドがそのいい例ですが、
お客様へのホスピタリティを徹底することで、
会社としての質の高さを生み出せます。
弊社のエンジニアも、直接お客様先に出向して、
お客様と一緒に仕事するわけですから、
そこに行ったときの見られ方、感じられ方にはこだわりたいですね。
そしてその部分に徹底してこだわった先に、
「ブレイバンスにいる人たちは違うよね」
という評判をいただくことが一番の強みになると考えています。

会社の行動指針の1つとして、
「当事者意識を持つこと」を掲げているのもそのため。
これはつまり、仕事先の職場も自分自身の職場として考えようということです。
お客様の職場=自分の職場なわけですから、
たとえば、社員さんよりも早く出勤して、
お客様先のオフィスの清掃や整頓をすることをルールにしています。

目標は、「日本で1番、仮想化技術のあるエンジニアがいる会社」になること。
何かでトップにならなければ次のステージへは進めないですから。
組織としては100人規模にすることが目標です。
なかでも女性社員の比率はもっと増やしていきたいですね。
エンジニア職は、実は女の人が働きやすい仕事だというのが私の持論です。
女性はコツコツ仕事するのが得意な人が多く、
技術を学び、身につけることに向いていると思います。
また、出産や育児で休職したあとに復帰しやすい仕事でもあるんですよ。
女性のエンジニアというとまだまだ少ないのが現状ですので、
弊社が率先して育てていくつもりです。

学生へのメッセージ

学生の皆さんにいつも言っているのが、
いくら自分探しをして迷っていても「自分」は見つからないよ、ということです。
一番重要なのは行動すること。
頭だけで考えても何も始まらないし、走りながら考えることで初めて先が見えてきます。
きっかけは何でもいいんです。

私も、小さな興味からエンジニアの世界に入って、
働いていくなかでだんだんこの仕事が好きになりました。
好きこそものの上手なれと言いますが、好きになれば自然と一生懸命になりますし、
それを続けることで「自分」が出来上がってきます。
自分の道は見つけるというより、「創りだす」ものなのだ、と言ってもいいでしょう。
とにかく、まずはやってみて、進んでみること。頑張って下さい。

株式会社サイバーブレーン 代表取締役 立石 誠司

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代表取締役 立石 誠司

代表取締役 立石 誠司

設立 2004年3月
事業内容
    • インターネットを利用した、各種情報提供サービス
    • インターネットを利用する、情報システム及び通信ネットワークの企画/設計/運用に関する受託
    • インターネットホームページの企画/運用/作成/管理
    • データベース構築/保守/管理
    • 通所介護事業
会社HP http://www.cyberbrain.co.jp/

インストラクターからの転身

もともと、私はスポーツインストラクターとして働いていた過去を持ちます。

ヨットやスキューバダイビングなどのマリンスポーツを指導していましたが、
正直な話、インストラクターはかなりモテる職業で、
楽しくやりがいもあり、充実した20代前半の生活を送らせて頂きました。

その反面、スポーツビジネスは景気に大きく左右される業種で、
特にマリンスポーツは季節要因も関係するため、
賃金水準は極めて低いという辛い現実もありました。
また、上司も部下も全員がバリバリの体育会系で、
過酷な指導現場、マネジメントや店舗経営は全て根性論という組織でした。

そしてある時、お客様を工場のライン作業の様に捌く仕事に疑問を抱くのです。
「一人ひとりのお客様と向き合う事もせずにいて、本当に良いのだろうか」と。

その疑問は膨れ上がり、ある時私は転職を決意します。

志望したのは消防官への道で、体力だけは自信があったものの、
どうしても一般教養試験を通過できず、ここから私の迷走が始まります。
勉強嫌いで低学歴だった事もあり、スーツを着て仕事する職種は避け、
体育会系スピリッツを活かした仕事を探しました。

パラダイスを目指して

しかし今になって思えば、当時の私は本当にアホで、
勘違い野郎で、世間知らずの甘ったれ小僧でした。

そんな私は、仕事が楽で、勤務時間が短く、
給料が高いというパラダイスを探し求め、
数か月間隔で転職を繰り返す事となります。
さおだけ屋、ボディーガード、葬儀屋、居酒屋etc・・・
どの仕事も私が求めるパラダイスには程遠い。

そんなときです。

今からおおよそ15年程前、回線速度も遅く、使った分だけ課金され、
一部企業とパソコン好きの間でのみ使われていたインターネットは、
回線速度も速く使い放題というブロードバンド時代を迎えた事で、
利用ユーザー数が爆発的に増加し、一気にインフラへと成長を遂げます。

そこで私は考えました。
「インターネットという新しい世界では、如何に高学歴な人も全員初心者であり、
この世界でビジネスを展開すれば、
私の様な小僧でも同じスタートラインから始められる」と
この世界に飛び込むことを決めました。

しかし私はパソコンに触れた事もありません。
そんな私がインターネット業界に足を踏み入れる際の助けとなったのは、
インストラクターとしての経験でした。

分からない人の強み

勤めたのはインターネットプロバイダーのコールセンター。

「インターネットの接続方法が分からない・・・」
「メール設定方法が分からない・・・」
ここは毎日、『分からない人』から沢山の問い合わせが集まります。

『分からない人』の気持ちは、『分からない人』にしか分りません。
職場にはパソコンに詳しい同僚も数多く在籍してましたが、
お客様が本当にご満足される為には、『課題解決』以前に、
まず『相手の気持ちを理解する』ことが最も重要であり、
パソコンに詳しい人は比較的『分からない人』の気持ちが分からない傾向にあります。

幸いにも私は『分からない人』であり、
『分からない人』の気持ちは痛いほど分りますし、
『分からない人』に分り易く指導するインストラクター経験が大いに役立ちました。

そうして、自身も学びながら3年が経過し、
かねてから考えていた起業を果たすことになります。

起業時は前職の仲間を含めた3人で、
探し求めていたパラダイスを作ってやろう意気込んでいましたね。

しかし、すぐに気付きました。
私が探し求めていたパラダイスはあくまで雇用される側のパラダイスであり、
とんでもない世界を探し求めてたと今でも思いますね(笑)

とはいえ、長く経験したサラリーマン時の思想も取り入れながら、
バランスを意識した社内整備を常に目指しています。

仕事を通して生まれた強み

こうして起業を果たしましたが、弊社の強みは初めからあった訳ではありません。

「毎日を必死に駆け抜け、気が付いたら強みになっていた。」
こんな感じです。

中古車検索サイトの広告販売でスタートして、
クライアントは全国の中古車販売店。
私はスーパーカーにあこがれた世代なので、
私の世代らしいビジネスだと思います。

今では当たり前となっているインターネット広告も、
当時はまだ雑誌広告がメインだった事もあり、
きっちり市場が確立されていない状況下での営業活動は、
私の人生において過去最高に辛く過酷な日々でした。

それでも、取引先が徐々に増えるにつれ、
こんな話が出てくることになるのです。
「ホームページは作ってないの?」
当時はホームページを持つ販売店も少なく、
そこに大きな需要が隠れていました。

外部の制作会社もフルに駆使し、
ホームページ制作需要をとにかく片っ端から引き受け続け早十年。
振り返ると、中古車販売店のホームページを専門に制作している弊社がありました。

新しい柱と柱の条件

この様な強みを確立させながらも、新たな柱として介護業界に参入。

2055年がピークと言われる超高齢化社会を前に、今後確実に需要が伸びるのは、
介護業界と葬儀業界であり、起業家として手をこまねいている訳にはいきません。

また、高齢者となった私の両親はもちろん、かく言う私も2055年には85歳の高齢者であり、
決して他人ごとではありませんし、予習を兼ねてという気持ちもあります。

また、もう一つの参入理由は、介護事業者向けITサービスの開発で、
「リアルな介護現場を知らなければ、優れたサービスを提供することは出来ない」という、
アナログ的かつ非常に要領の悪い進め方かもしれませんが、
じっくり考える時間があるくらいなら、まずはチャレンジしてみるのが私のモットーです。

課題と答えは必ず現場にあります。

そしてこれからも、『面白くて』『新しくて』『他にない』
サービスを日々悶々と模索しながら、
仲間達と共に人生を歩み続けたいと思っています。

『自分が何をやりたいか』より『誰とやるか』

仕事をする上で、実はそれが一番大切なのだということを、
聞いたことがあるかもしれません。
ですが、この言葉はまだ社会に出ていない学生の皆さんには
理解し難い事でもあるかと思います。

そこで、まずは自分がやりたいと思った道を全力で目指してください。

どうも学生さんを見ていると、
そこから間違ってしまっている人が多いような気がします。

洋服、靴、バッグ、アクセサリー、時計etc、
とにかく日本人はブランド品が大好きな人種です。
そして多くの学生さん達は、
会社選びもブランド品の様に会社を選ぶ傾向にあります。

有名で大きな企業に入社したいと。

一見とても格好良く感じます。

「私は●●商事の本社勤務です!」
まるで自分自身が●●商事の如く錯覚する事で、自尊心は満たされ、
きっと周りにも鼻高々で気持ち良い事でしょう。

しかし、あなたが一番やりたいことは一体何ですか?

社会人になれば、楽しいことより辛いことの方が、
5倍くらいは多いと思いますよ。

そんな辛い壁に直面したとき、あなたがやりたいことをやっていなければ、
恐らく乗り越えることは出来ないでしょう。

単純に辛い思いまでして、やりたくないことやりますか?
しかも何十年もずーーーーーーーーーっと続くんですよ?

だから会社をブランドで選ぶのではなく、
やりたい仕事が出来る会社を選んで欲しいんです。

そしてある時、フッと気付くのです。
自分がやりたいこと以上に、誰とやるかが一番重要であることに。

これは、今理解する必要は全くありません。

しかし『誰とやるか』の重要性に気付くために、
まずは自分の一番やりたい仕事を目指して、
就職という社会人の第一関門を突破して下さい!

ハイパーマーケティングホールディングス株式会社 代表取締役社長 加藤 行俊

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代表取締役社長 加藤 行俊

代表取締役社長 加藤 行俊

設立 2012年12月11日
事業内容
      • 教育育成事業(ビジネススクール運営、情報発信)
      • セミナー運営事業
      • インターネットを利用した各種情報提供
      • ECコンサルティング事業
  • 物流サービス事業、個物の売買、卸売、仲介、販売代理及び輸出入業
会社HP http://www.hm-h.co.jp/

3社でトップセールスに!起業を志したきっかけ

「どうしたら自分の思うように、考えたように働けるのか」
高校を卒業し、働き始めてから何となくそんなことを考えていました。
自分の理想通りに働くには社長しかないとは思っていましたが、
「何で」「どのようにして」起業するのかまでは決まっていませんでした。

社会に出て一番最初に就いた仕事は化粧品を販売する仕事。
やるからには中途半端ではいけないという思いはありましたので、
入社後半年で営業成績はトップに。
若干21、22歳で部下を従える立場にまでなりました。

次に就いた仕事は高級外車の販売。
化粧品と比べて一気に単価が上がりました。
やればやっただけ自分に返ってくるところも営業の醍醐味で、
その会社でも見事販売成績トップの座を得ることができました。

そうなるともっと高い物、もっと売りにくい物を売ってみたいという気持ちになりました。
車の次に高価な物…もう宝石か不動産ぐらいしか浮かびませんでした。
この時年齢は27歳を迎えていて、将来についても考え出していた時でした。
「30歳までに絶対に社長になる」
そう書いた紙と、社長室のイメージをプリントアウトした画像を横に添えて
部屋のコルクボードに貼り付けたのです。

そうして目標に期限を付け、改めて理想の姿を自分自身に言い聞かせることで、
不動産の営業でも3年でトップを掴み、独立資金の1000万円も見事貯めることが出来ました。

ハイパーマーケティングホールディングスの思い!

経営理念は「Change your life」。
ITという武器を利用してあなたの人生を切り拓くお手伝いを担うのが我々のミッションです。
高度経済成長期では当たり前だった、
「終身雇用制」「年功序列制」など今までの働き方は大きく変わろうとしています。
つまり高校、大学を卒業して就職した会社で退職するまで働くという考え方は
過去のものになりつつあるということです。

働き方も多様なら、稼ぎ方も多種多様。
弊社が運営しているビジネススクールではインターネットビジネスや、
投資などの情報発信とコンサルティングを得意としています。
これまでそういったことは起業家、投資家など一部のお客様に限られていましたが、
我々は一般のサラリーマンに教え広めることによって、
より安定した収入を得る、自分のライフスタイルに合った働き方にするなど、
自己実現の一助となってほしいと思っています。

そこで最も重要視しているのが、万全のサポート体制。
誰でも新しいことに挑戦することは少し不安なもの。
一方、ほんの少し勇気を持って扉を開いてみたら
素晴らしく可能性に満ちた世界が広がっていた…ということもあります。
自分の能力に枠を作らず、進化し続けられるサポートをすることで、
多くの人の可能性を引き出したいと思っているのです。

目指すは駅前学校!

周りの人を元気にし、新しい可能性を引き出すにはやっている側、
教えている側の本人が楽しんでいないといけません。
「類は友を呼ぶ」という諺がありますが、人は似たような人の周りに集まるもの。
だから面白い人の周りには面白い人が、
お金持ちの人の周りにはお金持ちの人が集まるものなんです。
だから社員には常に「世界一ワクワクしよう」と呼びかけ続けています。
ワクワクしながら働いて、進化し続ける集団でありたいと思っています。

そして今後のビジョンとしてはもっともっとビジネススクールを拡充すること。
具体的には2017年以内に店舗展開し、
ITに弱い人でも自分で生きていく道を創造できるようにすること。
収入の柱が広がれば今まで挑戦出来なかったことにも挑戦できるかもしれません。
その結果思わぬ自分の可能性が開けることも十分考えられることなのです。
場所、時間、リソースなどにとらわれることない働き方を実現することによって、
全く新しいライフスタイルが待っているということを広く提唱していきたいですね。

新しいことを価値観を広げようとしている風に感じるかもしれませんが、
働き方に関して世界的に見れば先進国の中でも日本は遅れている方なのです。
いつまでも過去の経験則や、古い価値観が蔓延していて、
確実に時代は変わりつつあるのに、受け入れようとしない風潮もあります。
今は昔とは違うんだということを再認識して、
固定概念を崩すことから考えていただきたいと思います。
新しい扉、可能性は固定概念を拭い去るところから始まりますから。

どれだけ成長したい、進化したいと思っているか!

・自分を成長させたい人。
・思いやりがあって、人が好きな人。

弊社で求める人物像については以上2点です。
その他学歴、年齢、国籍はそんなに重要視しません。

社会的に考えたら確かに学歴は大事かもしれません。
一般的に良い大学を出ていれば常識も良識も備わっている人材が多いことは確か。
でもそれが全てではないと思っています。

私自身高卒ですし、さらにその高校を卒業するのにすら2年遅れています。
普通の人よりもハンデがある状態で社会に出ているわけです。
それでも「社長になる」という強い思いがあったからこそ、
セールスの仕事でもトップを獲れてきたのです。

目標を叶えるため寝食忘れて働いていた時もありました。
人はそんな姿を見ると「頑張っている」「努力している」と思うのでしょう。
しかし、私としてはそれらは一度も努力だと思ったことはなく、
何にでも一生懸命やっただけなんです。
つまり、辛く苦しいという思いはなく、夢中でやっていたに過ぎないんです。

弊社では社員の言ったこと、考えたことはまず一度全て受け止めます。
決して否定はしません。
そして任せます。
どうしたら社員にワクワクして働いてもらえるかという環境を整え、
そのワクワクがお客様の元まで届くような企業であり続けたいと思っているからです。

20代は失敗続きでも良い…とにかく行動あるのみ!

ニート、引きこもり、無気力、うつ病…。
これからの日本を背負っていくはずの若者に元気がないという話をよく耳にします。
それらの原因の一つとして考えられるのが、夢、希望がないことだと思います。
安い賃金で馬車馬のように働かされ、
増税、雇用不安などマイナスなニュースばかりだから無理もありません。

でもだからこそ悲観するばかりではなく、
新しいビジネスモデル、働き方が大事になってくると思っています。
若い人に言いたいのはインターネットビジネスでも何でも良いから、
まず収入を得る、小さな成功体験を積み重ねることから、
「働くって面白い」「生きてるって面白いな」と感じてほしいです。
特に20代のうちは失敗してもマイナスに捉えず、経験になる、
糧になると捉えて色んなことに挑戦してもらいたいですね。

文面だけで見るとスムーズにここまで来たかのように捉えられるかもしれませんが、
私自身やりたいことが全て具現化してきたわけではありません。
それでも「頼まれごとは試されごと」の精神で色んなことに挑戦してきましたし、
新しい分野でもやってみようと捉えてきました。

今やりたいことがなくて困っている人でも、
色んなことをやっている内に情熱を傾けられるものが絶対出てきますから、
とにかく目の前のこと、やれること、やってみたいことに
挑戦する勇気を持ってもらいたいと思います。
自分探しの旅に出るぐらいなら実際に一度働いてみて下さい。
そうすればきっと何か掴めるはずです。


なおえビューティークリニック 院長 喜田直江

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院長 喜田直江

院長 喜田直江

設立 平成23年10月
事業内容
    • 婦人科形成・美容形成
会社HP http://www.naoe-clinic.net/

このままでは、良い医者になれない!

学生時代は将来への考えはあまりありませんでした。
医学部に入り、4回生から具体的に医学を学び始めた時に
医者になる実感が初めて湧いてきましたね。
女医としてのメリットを生かせるという理由で産婦人科へ進みました。

そこで感じたのが圧倒的な人不足。
一人ひとりの患者様に思いやりを持って接するという、
人として当たり前のことすらままならないほど多忙な日々でした。
きちんと患者様と向き合うことができず、
「このままでは、良い医者にはなれない!」と感じるようになりました。
そこで、ひとまず産婦人科を離れることを決意し、
その後形成外科を経て美容外科へと進みました。

患者様ではなく、「お客様」

美容外科に入って衝撃を受けたのは、
自身が接しているのは患者様ではなく「お客様」だということ。
接客も必要で、こちらから向き合おうと努力しなければいけないということを知り、
それまでの経験との大きなギャップを感じましたね。

ただ、美容外科に進んだばかりの頃は、
大手に勤めていたためどうしても数をこなす必要があり、
流れ作業的に手術を行わなければならないうような日々が続きました。
コミュニケーションも十分に取れないままに進めてしまうので、
後になってトラブルが起こってしまうこともありました。
多忙な産婦人科では、
きちんと患者様と向き合うことができないと思い転科した美容外科でしたが、
ここでも自身で思い描く「良い医者」にはなることができませんでした。

これは、もう自分でやるしかない。
そう考えて、独立を決意しました。

女性の悩みに寄り添うクリニック

当クリニックでは女性特有の悩みを解決する形成手術を行っています。
男性にはわからない悩み、知られたくない悩みですので、
完全予約制で普段は一切男性の立ち入りを禁止しています。
このような形成手術は、大手のクリニックでは
数多くあるメニューの一つであることが少なくありません。
そのため、他院ではなかなか悩みを打ち明けることのできなかったお客様が、
それを解決するために、当クリニックにいらっしゃいます。

悩んで悩んで、それでも解決できずに思いつめてしまったお客様と
真摯に向き合っていくために、
カウンセリングからスタートです。
涙をぼろぼろ流しながら重い悩みを打ち明けてくださったお客様が、
施術を終えて笑顔で帰っていく。
そこに一番の価値と喜びを感じています。

なおえビューティークリニックのこれから

女性に関わる医療はずっと続けていきたいと思っています。
今は手術メインなのですが、
今後は内科的治療や漢方を使って更年期特有の悩みも解決していきたいですね。
同じようなクリニックを増やすというよりは、
今やっていることをもっと厚くしていきたい。

他の美容外科がやっていることを追うのではなく、
女性の悩みを解消することを追及していきたいです。
解決できる悩みなのに、
それが解決できる悩みであるということを知らない人が多すぎるのが現状です。
まずは幅広く情報発信をしていくことで、
そのような悩みを持つ人がいない社会にしていきたいと思っています。

雑誌やテレビ出演などにより情報発信をする一方で、
産婦人科の先生方への啓蒙活動も続けています。
産婦人科の先生方の中にも、
婦人科形成について知らない方が実は多くいらっしゃいます。
大学で教えてもらえる内容ではないことが、理由の1つです。

産婦人科では、妊娠や病気でなければ診察をしてもらえないし、
解決策も提示してもらえない。
そんな病院側の現状も変えていかなければなりません。
デリケートな話なので大々的に発信していくのは難しいのですが、
これからも地道にやっていきたいですね。

親身になれる関係づくり

女性ならではの悩みなので、
そこに共感できる人と一緒に働きたいと思っています。
お客様の中には、すっかり落ち込んで精神的に
病んでしまっている方もいらっしゃいます。
そのような方とも、思いやりを持って根気強く向き合っていけることが大切です。
医師・看護師という立場ではなく、
お客様に寄り添うことのできる相談相手のような立場でいられること。
そこが一番重要だと考えています。

当クリニックのスタッフは、
今では私以上にお客様に親身になってくれています。
お客様から電話がかかってきても、
「あ、〇〇さんですね」とすぐに分かる関係です。
ですので、彼女たちは”看護婦さん”とは呼ばれないんですよ。
皆さん名前で呼んでくださいます。
受付も含め、スタッフは皆、お客様と良い関係を築くことができているので、
手術中でさえお客様とお話をしていることもあります(笑)。

スタッフ全員がお客様に寄り添い、良い関係を築ける環境があります。
この環境があるので、新しく入ってきた人もすぐに馴染んでいますね。

文句を言うよりも、広い視野を。

目の前のことを追求するだけではなく、
幅広い選択肢を持つと良いと思います。
私も転科を繰り返していますので、
人によっては、コロコロとやることを変えているなどと、
悪い印象を持たれる方もいらっしゃいます。

一貫して同じことを続けることも、
もちろん素晴らしいことだと思いますが、
不平不満を言いながら続けるのならばやめた方がいい。
文句を言うくらいならやめて、別の道に進めばいいと思います。
壁にぶつかったら、その都度、自分の理想へ進める道を探すべきですね。

私もこのように寄り道をしながら歩んできましたが、
これまで経験してきたことは、
全て必要なことであったと感じています。
産婦人科の経験も貴重でしたし、
形成外科ならではのすごい縫合技術も学びました。
いろんな科をちょこちょこ動いていたように見えますが、
後悔は全くありません。

それらの経験がなければ今の自分はありません。
これまでの経験を活かし、自身で思い描く「良い医者」に近づいていけるよう、
日々前へ進んでいきたいと思います。

株式会社さなる 代表取締役社長 佐藤 イサク

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代表取締役社長 佐藤 イサク

代表取締役社長 佐藤 イサク

設立 1980年3月
事業内容
    • 小学生、中学生、高校生の学習及び進路指導、各種講座・模擬試験等の実施。
    • 教育に関する出版事業。教材制作事業。
会社HP http://www.sanaru.jp/

創業時の想い

かつて学習塾への社会的認知度は低く、塾教師より世間体のいい仕事は、いくらでもありました。
しかし目の前の生徒たちをよく見れば、前向きになれる環境がないために怠惰に流されている子や、
女子だからという理由で受験校を制限される子など、理不尽ともいえる状況に置かれていた子供達がたくさんいました。
自分にできるすべてを注ぎ込んでみよう、『塾』を、誰もが認める仕事にしようと決意しました。

求める人材

人材の発掘・起用は企業トップとしての最重要任務の一つ。
輝いている社員が誰か、何を考えているか、いつも鵜の目鷹の目です。
性別も年齢も特段の意味を持ちません。女性でも熱心な仕事ぶりが光る社員は登用されます。
有能な人材が教室長(校舎の責任者)、本部長(都市単位で校舎を統括管理する、いわば支社長)
・本社管理職に抜擢されるに過ぎないのです。
もちろん、会社が成長を遂げたことは喜ばしい。
社員は豊かになり、会社自体も大きな夢を持てるのですから。

しかし、企業規模の拡大や増収増益を目的として運営してきたわけではないのです。
もともと、佐鳴予備校の教師たちはチョーク一本を持って教壇に立ち、いかに生徒たちをやる気にさせるか、どうやって夢を抱かせ、それを実現する気概を持たせるかを一番に考えて授業をやってきました。その姿勢が地域からの評価を頂き、成長につながっただけなのです。
より質の高い教育、効果を上げられる学習環境を提供したくて、その時々において最善を尽くしてきたに過ぎません。
そういう姿勢がなければ、私塾とはいえ教鞭を執る資格はありません。
“最大であるより最良であれ“ということです。そして”最良であるが故の最大“を目指すのです。

私塾の社会的な役割

学校が余りにも衰弱してしまった昨今、私塾に対する社会的な期待が高まるのは当然だと思います。
そう考えれば、どうあっても中途半端な仕事はできない、したくない。
塾の認知度が低かった一つの要因に、副業感覚で済ますところが多かったこともあります。
そんな姿勢では、教育のプロフェッショナルには到底なり得ません。

佐鳴予備校の根幹は『教師の質の向上』にあり、と断言します。
単純に過ぎるかもしれませんが、教育の質の追求は社是と言って差し支えありません。
『そのくらいのことはどこでもやっているではないか』という反論もあるでしょう。
しかし、それを本当に、徹底して行うのは容易ではありませんでした。
『指導に責任を負えない人間を教室に送り込むなど論外だ』という考えのもと、研修制度を充実させました。
教師のような専門性の高い仕事、いわば『職人』は、技は自ら築くものとし、自分の技を積極的に伝承しようとはしたがりません。だからこそオープンな社風が必要。
誰かが素晴らしい『必殺技』を編み出したら、それを誇らしげに皆に披露し、周囲もまた喝采で迎える。
そうして『さなる流』の教授法が確立されてきました。
こうした『指導技術の共有』に加えて教育理念の共有も積極的に進めてきました。

誤解されると困るのが、先ほどの指導技術の共有という言葉です。
指導技術の向上は必須ですが、単なる技術しか持たない『ティーチング・マシーン』はダメだと思っています。
生徒にとって最も重要なのは『やるぞ』という想い、学習意欲の高揚だというのが持論です。
教師とは、生徒の意欲を引き出すための存在、生徒の心に刺激を与えるための存在であり、教壇からの熱い語りかけが、ある種の触媒の役割を果たすのです。
となれば、教師は単に学力一辺倒の説明装置ではいけない、人の心を鼓舞するプロでなければならない。
だから、採用においても研修においても、表情豊かで、人間味あふれる教師であることを常に求めます。
『誉め方』『叱り方』『声の出し方』『話すときの表情』まで、ひとつ、ひとつを大切にします

今後の教育と大きな夢

現在の教育業界は混迷の時期にあると言っていいでしょう。
明治時代から続く国家主導の教育システムはすでに制度疲労を起こしています。
そこに息吹を吹き込み、日本の教育を蘇らせる力は、もはや国家行政にはないと思うのです。
教育のあり方を根底から覆す『革命』を起こすのは私塾である、私はそう信じています。
そしてその旗手はさなるでありたい。
しかしそれには、企業としても教師集団としても、更に成長する必要があります。
やがてさなるが日本の教育を変え、多くの子どもたちに最高の教育を提供する。
それによって人々をプラスの方向に導き、ひいては日本を、そして世界をプラスの方向に導く・・・
大それた夢と笑われるかもしれませんが、私の、そして、私に続くさなる社員の生涯を賭けた事業だと思っています。

株式会社 トパーズ 取締役副社長 英 裕二

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取締役副社長 英 裕二

取締役副社長 英 裕二


設立  昭和62年7月25日
事業内容
    • 不動産賃貸業
    • 建設業
    • 住宅型有料老人ホーム
    • 在宅介護事業 (通所介護・訪問介護)
    • 農業
会社HP http://www.topaz-kk.jp/
http://kiyomizunosato.jp/

穴水町の廃校利活用の公募を知り・・・。



能登 清水の里 穴水 全景



石川県能登にある小学校跡地を利用した施設

当社は元来、不動産賃貸業と建設業を主に事業していました。
当社の創業者『森口邦光』は石川県の能登半島にある穴水町出身ですが、
その母校である穴水町立諸橋小学校が統廃合により廃校となっていました。

平成20年頃、穴水町のホームページで廃校利活用の公募していることを知り、
創業者『森口邦光』の地元である穴水町や諸橋地区に過疎地域の活性化と
雇用の創出をすることで社会貢献することができると考え、
また福祉・介護事業は当社において一本の柱になると思い廃校利活用に応募することにしました。

穴水町とは「建物の維持管理保全」「地域の活性化」「雇用の創出」「地域の社会活動への協力」等を公約し、
穴水町議会の議決を経て、平成21年8月に町有財産無償貸付契約を交わし借り受けることになりました。
創業者『森口邦光』は、「これで、穴水町と諸橋地区を少しでもよくすることができる。」
と言っていましたし、今でもそう思っています。

当社の系列会社である株式会社清泉の宿が住宅型有料老人ホームと在宅介護事業をしていましたので、
そのノウハウを使い、住宅型有料老人ホームと在宅介護事業を併設した施設に改修することにしました。

地域の方々からの要望もあり、外壁に飾ってある大きな時計や、
教室の扉・棚・床などを再生し小学校跡地らしい雰囲気を残し、
天井も高く開放的で木をたくさん使った暖かみのある施設に改修しました。
旧小学校の部材を再生するためには、部材を一つずつ綺麗に取り外し、工場に持ち帰り、
再加工し取り付けていたため、改修工事に1年近くもかかり大変苦労しました。

通所介護(デイサービス)には、石川県木の【能登ヒバ】(穴水産)を浴槽に使い、
地元の特質も生かすようにしています。
香りも良くて癒しの効果もあるので、施設入居者様・利用者様から喜んでいただいています。
このような事業スタイルは全国的に珍しいらしく、他の自治体からの問い合わせや見学も多く、
一般の見学者を合わせると数百件になり、みなさん「すごくいい施設ですね」と言ってくださいます。

「ボラ待ちやぐら」「潮騒の道」など観光資源もたくさんありますので、
益々穴水町全体が元気になっていくと思います。

地域に根付き、包括的サービスをする。



諸橋おにぎりサロン開所式



高齢者向け『諸橋おにぎりサロン』開所式

当施設の改修工事を進める中で、地域の方々から様々な要望がありました。
当施設には諸橋公民館も併設されていますが、その諸橋公民館1階にミニキッチン(IH)増設、湯沸し室のコンロもIHに交換しました。
2階についてはトイレ1ヶ所、IHシステムキッチン3セット、食器棚1式を新設しました。

旧諸橋中学校跡地記念碑については、地域の方々と合意のうえ移設しました。
旧諸橋中学校体育館は老朽化が激しく倒壊の恐れもあったため柱の補強を行なったり、
雨漏りも酷かったので屋根瓦の葺き替えも行いました。

清水体育館(旧諸橋小学校体育館)には、体育館全面に人工芝を敷き、
地域の方が自由に使える全天候型のゲートボール場として開放したり、諸橋地区敬老会や諸橋文化芸能発表会、
穴水町駅伝競争大会開会式場など様々な行事に使用しています。
しかし、清水体育館を様々な行事に使うにも関わらず、問題が山積みでした。

トイレの数が少ないと言われたのでトイレを増設しましたし、
入口に屋根がないので雨の日は入りづらいと言われたので悪天候時にも
スムーズに出入りできるように屋根をつけましたし、
下駄箱が欲しいと言われたのでたくさん収納できる大型の下駄箱を
設置するなど地域の方々の利便性を考え改修しました。

平成27年11月15日に、第60回穴水町駅伝競争大会がありました。
出場人数のことなど色々あったので間際まで出場するか否か悩みましたが、
第60回記念大会ということで1ヶ月前に出場をきめました。
結果は1部出場30チーム中13位と平凡ではありましたが、練習を3回しかできなかったということもあり、
選手7人がよく頑張ってくれたと思います。これでも立派な成績だと思います。
清水運動場(旧諸橋小学校運動場)についても、地域の方々が諸橋地区運動会やソフトボール大会、
親子キャンプなどに利用していますので、当社で除草用草刈機を購入し、
地域の方々もその草刈機を自由に使えるようにしました。

去年、地域の方々を招いて『清水の里まつり』を開催した時には、バーベキューをしたり、
ボランティアの「竹の子会」による民舞等を披露していただいたり、
『能登 清水の里 穴水杯グラウンドゴルフ大会』を開くなど地域の方々と
交流を深めることができ非常に喜んでいただくことがきました。

また、当施設に隣接する能登 清水の里 自然体験農園 宇加川の施設の一部を
穴水町社会福祉協議会が管轄する高齢者向け地域サロンとして場所を提供することにしました。

穴水町社会福祉協議会に申請書を提出した後、サロンの羽根会長と覚書を締結しました。
サロンの羽根会長も穴水町社会福祉協議会の大島会長と小川事務局長に良くしてもらい喜んでいました。

サロンの名前は「諸橋おにぎりサロン」と言い、毎週1回水曜日に開催しています。
名前の通り昼食にはおにぎりをみんなで食べていただくのですが、
参加者も自らおにぎりを握ったり、漬物を持ち寄ったりなどして楽しんでいるようです。
室内にはカラオケも設置しましたので、みなさんに大変喜んで歌っていただいています。
そのおにぎりサロンには当社社員もボランティアとして参加していますので、地域の方々との情報交換をしたり、
日々の状況などいろんな話をさせていただき介護を含む様々な相談場所にもなっています。

穴水町新崎地区集会所にもカラオケを設置し、新崎地区の方々に自由に使ってもらっています。
しかし、穴水町健康推進課が行っている健康教室に他の地区からも参加者を募り
許可を取らずにカラオケ教室参加者の募集していたようなので、
当社の本意とは少しずれていますが、みなさんに秩序をもって有効活用していただければ嬉しいので、
使用許可申請書を出してもらうことで許可することにしました。

また、当施設が地域の各種災害時の避難場所として指定されているため、
当施設として備蓄米や野菜・飲料水を蓄えています。
関連施設の前面道路が穴水消防諸橋分団ポンプ車操法の練習所となっているため、
地域と密着して全社員の防災意識も高めています。
さらに当施設の1室を使い、公立穴水総合病院甲診療所諸橋巡回診療が毎週水曜日の午後に診察に来て頂いています。
当施設入居者だけでなく地域の方々も利用されています。

このように少子高齢化が進み限界集落に近い過疎地域に当施設を設立し、地域の方々の要望に答えるだけでなく、
様々な交流を図ることで地域の活性化になっていると思いますし、
地域に根付くことで包括的なサービスに繋がっていると思います。

耕作放棄地解消・雇用の創出・地産地消・空き家対策。



のと米コシヒカリ 御田植式



耕作放棄地を借り上げ、地産
地消を目指す 抜穂式

当施設周辺には耕作放棄地がたくさんあり、草が生い茂っていました。
当社の創業者『森口邦光』は「このままでは地元が荒んでしまう。」と思い、すぐに地権者を集め説明会を開き、その耕作放棄地を借り上げることにしました。

『能登 清水の里 自然体験農園 穴水』と名付け、農業に本格参入することにしました。
当初は、諸橋地区と新崎地区のみで農園を始めて、あまり大きくする予定ではありませんでしたが、
穴水町内の乙ケ崎地区からも「自分の地区もお願いしたい。」と声をかけられ、
平成27年3月27日農地利用集積円滑事業を利用して、
穴水町のおおぞら農業協同組合と農地利用に関する覚書を締結し農地を増やすことにしました。
今では、穴水町地内に作付面積 水田約6ha、畑約4ha 合計約10ha 
(宇加川地区;約2ha・新崎地区;約3ha・乙ケ崎地区;約5ha)にまで拡大するに至りました。
穴水町おおぞら農業協同組合とは農地の提携だけでなく、お米(命名;のと米コシヒカリ)や人参、かぶ、ぶどうなど
いろいろ営農指導をしていただいていて、おおぞら農業協同組合の山﨑組合長をはじめ、
中村監事やJA担当者の方にはたいへんお世話になっています。

現在作付している農地の近くの地権者からも「来年から自分の田んぼも頼む。」と言われており、
来期以降に農地を更に拡大させる予定になっています。
穴水町との公約は施設従事者の雇用の創出だけでしたが、農業を本格参入するにあたり農業従事者が必要になり、
現在農業従事者だけで正社員7名・登録パート社員で60名を雇用するに至りました。
当施設及び当社の系列である株式会社清泉の宿の施設合わせ約300人の入居者及び利用者がいますが、
その食事に対し、お米(命名:のと米コシヒカリ)や有機野菜の70%を自社栽培し供給できるようになりました。

さらに農地を拡大させる予定ですので、近い将来お米や野菜については100%にできるのではないかと思っています。
また、施設近くの空家についても、1軒家を丸ごと借りて、社員寮に改装しました。

このように、穴水町に対し、耕作放棄地の解消及び雇用の創出、地産地消、空き家対策など、
全国に先駆けた社会貢献ができていると考えています。

地域の方々に助けられて。



玉ねぎ 出荷作業風景



無事出荷した玉ねぎ。

今年から、水田の作付面積を約5ha拡大しました。
5月に「命名;のと米コシヒカリ」の田植えをしたのですが、急激に作付面積を増やしたので遅れ遅れではありましたが
2週間ほどかけてようやく終えることができました。
9月実りの秋を迎えました。稲刈り機も新調し稲刈りをしていたのですが、
日数がかかってしまい、稲が倒れてきたのです。稲刈り機では刈れない状態になりました。
このままではいけないと思い、穴水町シルバー人材センターに相談すると、
翌日から5人集めていただき、手で稲刈りをしてもらいました。
それから数日かかりましたが無事稲刈りを終えることができました。

「能登 清水の里 自然体験農園」で採れた野菜を一度に出荷するわけにもいかないので、
倉庫で温度管理しながら保管していました。
先日、保管していた玉ねぎが約1,600kgダメになるかもしれないと連絡があったのです。
聞いてみると、温度管理を間違えたのか、玉ねぎの芽が急に伸びてきたとのことでした。

しかし、約1,600kgの玉ねぎをそのまま廃棄処分にもするわけにもいかず、
かと言って一度に約1,600kgの玉ねぎをどうすることもできず困っていました。
何気なく、「諸橋おにぎりサロン」の利用者の方々に話をしてみました。
すると、その日から総勢15名ほどの方が、2日かけて玉ねぎの芽を取り皮をむいていただき、
おかげで約8割ほど廃棄せずに済み、翌日全て無事出荷することができました。
このように、突然の依頼にもかかわらず快く引き受けていただける元気な高齢者が大勢いますので、
田舎のマンパワーも捨てたもんじゃないと改めて思いました。
地域の方々に助けていただき、本当にありがとうございました。

入りやすくて出やすい施設。介護サービス併設で安心。



東京限定 特別企画



居室 一例

当施設は、他社よりも低料金で質の高いサービスを提供することを目指しているので、
原則65歳以上であれば全国どこからでも入居できますので、とにかく入りやすくて出やすい施設となっています。
入居一時金も無く、家賃・共益費・管理費・食費・水道光熱費込みで10万円前後の料金体制になっていますので、
都市部の施設と比べると本当に安価な設定になっています。
実際、東京から入居して頂いた方などは価格を聞いて非常に驚かれていましたし、喜んでいただいております。

国民年金受給者や生活保護受給者などの低所得の方の入居も可能ですので、
そういった方からの問い合わせも非常に多くなってきています。
また、居宅介護サービスの通所介護(デイサービス)や、訪問介護(ホームヘルパー)を併設していますし、
介護職員が24時間365日常駐し緊急時の対応もしていますので、安心して生活して頂けると思います。
食事については、『能登 清水の里 自然体験農園 穴水』で自社栽培したお米(命名:のと米コシヒカリ)や
新鮮な有機野菜をふんだんに使ったお食事を提供させていただいています。
『しあわせ食堂』と名付けた当社厨房で、栄養士が管理していますので栄養面でも安心ですし、
愛情込めて作っていますので、必ず「美味しい」といっていただけると思います。

各居室については、全室ベット・テレビ・エアコン付きで、
自社製の手作り家具もお付けすることがすることができます。
今、『平成28年3月31日までの東京限定 特別企画』と題し、
東京にお住まいの人に限り限定3部屋で税込67,500円(要介護のみ)という企画もしています。
部屋からは、山や海が見えますし、自然豊かな環境で住んでみたいと思いませんか?
『移住体験フェア』開催中ですので、当施設宿泊と通所介護(デイサービス)の無料体験(2泊3日まで)も
受け付けしていますので、興味のある方はいつでもご連絡していただきたいと思います。

全従業員の幸せを追求するために。



様々な分野の講師を招き社員研修 ラクシュミー社会保険労務士事務所 所長 小矢田 様



株式会社emu 代表取締役社長 村木様

当社の経営理念は『全従業員の幸せを追求するために、誰にも負けない努力をします。
また、日本の福祉及び社会に貢献することに、責任をもって行動します。』です。
お客様に対し、安価でも質の高いサービスを提供するためには、自分の心にゆとりがないと笑顔で接遇できませんし、
介護は当然のことながら様々なスキルアップも常にしなければならないないと思います。
そこで、当社は人材の育成にも非常に力をいれています。

毎月1回以上の社員研修会を開催していますが、それ以外にも弁護士・税理士・社会保険労務士・経営コンサルタントや
ソーシャルワーカーなど様々な分野の講師を招き、多種多様の研修をし、
さらに外部の研修会にも出席する機会を設けています。
多種多様な研修を通じて介護の分野だけでなく、他の分野についても社員がスキルアップできる環境を心がけています。
新人教育マニュアル・管理者養成プログラム・施設長研修等の育成マニュアルを作成し、
法令遵守の徹底を図るとともに、各種マニュアルを社員全員に周知徹底して全社員の意識を向上させています。

当社は、全従業員の役割にあった適材適所を見極めるように心掛けています。
地方では、引きこもりも多いと聞きます。そんな引きこもりであったとしても、
一人ひとりにちゃんとしたポジションを与えることができれば、その人を救えるような気がします。
当社は、町有財産という公的建物を借りて事業している以上、
何事に対しても公平に判断していく必要があると思いますし、一方に偏った考えもできないと思います。

良いことは良い、悪いことは悪いと、全てちゃんと言えるような教育をしなければいけないし、
そんな環境づくりも重要だと思います。
やはり、全従業員には、自分の会社に自信を持ってもらい、一人ひとりが自分の人生、
自分の仕事が楽しく生きがいがあり、この仕事をしてよかったと思えるようになってもらいたいと思います。

先日役員人事があり、常務取締役に地下竜夫を任命しました。
これからは「能登 清水の里 穴水」及び
「能登 清水の里 自然体験農園 穴水」全体を現場から全てを見ていくよう指示しました。
今回の件を、創業者『森口邦光』に報告したところ、「当社は、何のために仕事をするのか、
能登 清水の里は何のためにあるのか問いていきなさい。それが副社長としての責務である」と叱咤激励をされました。
『株式会社トパーズ』並びに『能登 清水の里』は、社員一同粛々と社業の発展に努力し、
これまで以上に活動していきますので、次回もお楽しみにしていてください。

《 株式会社 トパーズ 取締役副社長 英 裕二 》

株式会社オーエンス 代表取締役社長 大木 一雄

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代表取締役社長 大木 一雄

代表取締役社長 大木 一雄

設立 1959年6月
事業内容
    • ビル管理業
    • 建設業
    • 特定建設業
    • 一般建設業
    • 不動産業
会社HP http://www.o-ence.co.jp/

入社当時と現在を比較して

私が入社したのは1978年、創業19年目でした。
社長に就任したのは1986年です。その間にオーエンスは大きく変身しました。
いちばん大きな違いは、会社の多角化です。会社としての規模も人数も大幅に増えました。
この背景には、本業である管理物件が増えていき、それによって社員が増えたことが挙げられます。

その中でも何よりの大きな変化は、優秀な人財が育ったことです。
このことが何よりも大きな成果だと考えています。
「官」から「民」への流れの中で、それまでの公共施設の管理のあり方が大きく変わってきました。

従来の管理委託制度から我々のような民間事業者でも
管理・運営ができる「指定管理者制度」とか「市場化テスト」という仕組みができました。
それによって、長期的な計画に基づいた施設管理に本来必要とされる提案が可能になったのです。
従来のビルメンテナンス業の枠を超えた、幅広い業務の受注を可能にしたという意味でも
「指定管理者制度」の果たした役割は極めて大きかったと感じています。

オーエンスの事業内容とは

当社は、他社との差別化を狙って比較的早い段階から事業を多角化してきました。
スポーツ施設や教育施設などの管理業務もその一つです。
そのバックボーンとなっているのが、さまざまな企業との異業種間コンソーシアムですね。

建物の用途に応じたPM事業やスポーツ事業、インフォメーション事業、レストラン事業、
コンビニエンスストアの運営といった関連事業すべてがそうです。
今振り返ると、それが後に指定管理者制度の応募で有効に機能したと言えます。

当社にはさまざまな施設の管理業務を行えるバックボーンが数多くあります。
たとえば、提携団体の一つである総合型地域スポーツクラブや
NPO法人と連携し協力して管理・運営を行う千葉国際総合水泳場は、
国内外のさまざまな大会が開かれる全国有数の施設で、
2社でコンソーシアムを組んで、指定管理者に指定されています。
そのほか、東京体育館や江戸川区球場などさまざまな施設で、
当社は指定管理者の指定を受けています。

教育施設では、地域NPO法人と協力し、平成18年から市場化テストとして、
北海道にある「中小企業大学校旭川校」の運営管理業務を受託しています。
ここでの当社の担当は、建物の維持管理業務と、
宿泊施設や食堂の運営などのサービスを提供しています。

メンテナンスのプロ集団の強みを活かす

私たちは、メンテナンスのプロ集団です。現場を熟知し、
長年にわたって蓄積してきたノウハウもあります。
そこで、設備のプロ集団である日比谷総合設備様と協力すれば、
そのビルにとって最適な設備を、最適な状態で、最適に利用することができるというわけです。

それは言い換えれば、設備の技術的なノウハウだけでなく、
運転、管理のノウハウも共有できるということです。
こうした専門性の高い技術や管理ノウハウを持った上でPMを行えば、
『品質を維持したままコストを適正化する』ことが可能になるのです。
そのメリットは極めて大きいと言えます。

環境問題が大きく注目されている中で、
ファシリティービジネスが非常に重要な役割を担っていく分野だと考えています。

当社は今後も、快適な都市空間の実現を図り、その中から人々の生活環境を創造し、
また社会貢献を使命として、地域社会に貢献できる企業を目指していきます。
もちろん当社単独ではできないことも多数あると思いますが、

そのような分野においては、専門性が高く、
業種が異なる企業とのパートナーシップを推し進めることで、
企業競争力をいっそう高めていきたいと考えています。

これまでの5年間を総括のうえ、これからの目標へと向かう

当社は2009年の創立50周年の際、経営基本方針として3つの目標を掲げ、
その実現に今日まで取り組んできました。
1つめの『収益拡大による財務体質の強化』については、
毎月の営業会議のなかでコスト削減を中心に具体的施策を検討しつつ、
取り組みを進めてきたおかげで何とか、財務体質の改善を実現することができました。

2つめの『他社との差別化による競争力の強化』については、
価格競争に引きずりこまれない、企画提案力勝負分野の開拓――
とりわけ指定管理者案件(官需)やPM案件(民需)などの受注確保、拡大に努め、
一定の実績をおさめてきました。

3つめの『人材育成によるマネージメント力の強化』については、新卒社員の継続的採用や、
案件運営管理現場を通じたOJT中心の人材育成方針により、目標実現をはかってきました。
これまでのところ、確かな成果をあげています。

以上、50周年からの55周年に至る5年間を検証、総括しつつ、新たに策定したのが、4つの経営目標です。
そのキーワードは4つ、『チャレンジ精神の発揮』、『現場力の強化』、『コンプライアンス体制の確立』、
そして『CSR活動への取り組み』です。

人材の確保と定着、ブランド浸透への投資を惜しまない

当社オーエンスにとって人材は、最大にして唯一の経営資源です。
労働力不足問題の深刻化、また業界内競争の激化のなかにあって、
優秀な人材をどう確保し続けていくかが、経営にとっての最重要課題となっています。
人材採用のカギを握る要素の一つに、企業認知度・企業イメージといった”ブランド力”があります。

また人材の定着率を高めていくためにも、組織の充実、あるいは職場環境の向上といった面での
他社との差別化を大事にしていかなければならないと考えます。
創立55周年を控えて2014年4月、当社は2013年2月に竣工した銀座・歌舞伎座タワーへと、
本社機能を全面的に移転しました。

過去5年間の実績伸展を通じて格段に高まってきた”ブランド力”をさらに強化し、
より大きな”人材確保効果”へと結びつけていくために必要な投資と考えたからにほかなりません。

本社部門のみならず、全国各拠点・各現場に従事する当社社員にとっても
“自慢し、誇りに思えるわが社”でありたいと願っています。

日本社会においては今後も、”官から民”への流れが一段と進んでいくでしょう。
また”2020年東京オリンピック・パラリンピック開催”に向けて今後、
さまざまなプロジェクトが実行されていくでしょう。
当社事業にとっては間違いなく、強力な追い風となります。
そうしたまたとないチャンスを、優れた人材力をもって着実につかんでいきたいと考えております。

オーエンスの将来像の展望

常に未来志向の先見的な企業でありたいと考えています。
そのためにも社員全員がビジョンを持ち、勇気ある行動に踏み出すことが大切です。
失敗は成功の基ですから、何事も恐れずに、今まで前例のないこと、
直面したことのないことにチャレンジしていくことも大切だと考えています。

また、人を育てるという意味では、一人ひとりが自分で目標を持ち、
頭でしっかり考えて行動して欲しいと思います。
目標を持って夢に向かって努力すれば必ず明るい将来が展望できるはずです。

当社としても、リーダーを育て、増やしていくことが今後の大きな課題だと思っています。
課題はたくさんありますが、一つひとつじっくりクリアして前進して行くことで、
会社はいっそう強くなり、発展して行くと信じています。

《 株式会社オーエンス 代表取締役社長 大木 一雄 》

一般財団法人 メンタルケア協会 会長 吉村 博邦

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一般財団法人 メンタルケア協会 会長 吉村 博邦

会長 吉村 博邦

設立 1993年
事業内容
    • 心の問題に関する調査、研究
    • 心の問題に関する講習会などの開催
    • 精神対話士の認定およびその派遣
    • 心の問題に関する書籍などの出版
会社HP http://www.mental-care.jp/

真心の対話で人を癒す

メンタルケア協会は平成5年(1993年)、慶應義塾大学出身の医師たちにより、
日本で初めて「真心の対話で人を癒す」という新しいスタイルの心のケアを研究・開発することにより、
人の福利、心の問題解決に貢献することを目的として設立されました。

精神対話士という資格確立のきっかけは、主には「対話の持つ力」に着目したことでした。
人は抱えている悩みを誰かに聴いてもらうことで、気持ちが軽くすっきりとします。
「そうだったんだ。辛かったでしょう?」と共感してもらいながら話すことで、
自分の心をまっすぐに見つめられるようになり、
心の整理ができ、問題解決につながっていきます。

それを反映するかのように、
セラピスト、カウンセラー、精神科医など「心」を扱う資格が世の中に浸透し、
そうした資格に携わる人々の数も増え続けています。しかし、抜け落ちていた資格があったのです。
「人の心に寄り添い、暖かな対話を通して心を軽くするお手伝いをする」資格。
それまで「話を聴く専門家」がいなかったのです。
そこでメンタルケア協会では、精神対話士という専門職を確立し、
真心を込めた対話によって人を癒すという日本初の心理職の資格を誕生させたのです。

協会設立とともに「メンタルケア・スペシャリスト養成講座」を開設しました。
この講座の目的は、一般の人々に対話の重要性を知ってもらうことと、
生きがいを失いかけた人たちに寄り添い、
生きる意味を一緒に感じとっていく人を育てていくことでした。
しかし、「いつでも、きちんと相手の悩みに耳を傾ける」ことは簡単ではありません。
意欲以外にも話を聴く技術や専門的な知識も必要です。

そこで協会では、そうした専門知識の一つとして
新しい学問領域である「死生論」を取り入れたり、
また独自の研究も行ない「聴くプロフェッショナル」のための
バックグラウンド作りに専念していきました。
「メンタルケア・スペシャリスト養成講座」を修了した受講生の中から
「聴くプロフェッショナル」である「精神対話士」を選考し、専門資格として認定し、
クライアント先に派遣する事業を行うようになったのです。

「生きることの尊さ」を共感しあうことができる人間性、能力を培う

爾来20有余年、メンタルケア・スペシャリスト養成講座の開催、心理職精神対話士の認定・派遣、
心の問題に関する書籍出版、日本精神対話学会の支援ほか心の問題に関する諸事業を展開してきました。
また、大規模自然災害被災者の方々への心のケア活動、自治体の支援、
後援を受けて自殺予防対策への積極参加をはじめとした活動においても社会貢献を行っております。

人が人生を全うするための根幹となる「生きがい」は、老い、病 、
対人関係などの障害から心に葛藤を引き起こし、とかく見失いがちとなります。

この「心の乱れ」を、新しい学問領域であるとして脚光を浴びてきている死生論を含めた
人の心身の研究の最先端をいく科学者たちに導かれ、自ら考え研究することにより
「生きがい」を失いかけた人たちに寄り添い、葛藤を乗り越え「生きることの尊さ」を
共感しあうことができる人間性、能力を培うことが事業の目的です。

企業理念

メンタルケア協会は、心の問題に関する調査、研究を行い、
心の問題に関する講習会を開催して人材を教育、養成し、心の問題を解決するための実践をし、
もって心の問題の解決に寄与することを目的として運営されています。

協会の心の問題への対応の特徴は、薬物療法や医療とは一線を画し、
対象の心に寄り添い真心の対話により傾聴、共感、受容を基本として、
対象自らが自分を理解してくれる存在を認識して心の葛藤を乗り越えて生きることの尊さを共有し、
再び生きがいをもてるよう導くことにあります。

高度技術化社会、高齢化社会である現代において、
メンタルケア・スペシャリスト、精神対話士の必要性が強く求められています。
単なる奉仕の精神としてではなく、プロフェッショナルとしての
自覚と責任をもつことが大変重要であると考えます。

この活動を通して必ずやこれからの社会において、人を支え、人の心に思いやりを持ち、
人が希望をもつことに対し、大きく貢献するものと確信しています。

《 一般財団法人 メンタルケア協会 会長 吉村 博邦 》

株式会社ジーンクエスト 代表取締役 高橋 祥子

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代表取締役 高橋 祥子

代表取締役 高橋 祥子

設立 2013年06月20日
事業内容
    • 遺伝子解析サービス
会社HP https://genequest.jp/

より良い遺伝子研究のために

私は現在も大学の博士課程に在籍し、研究を続けています。
もともと起業したいというよりも、
ずっと大学に残って遺伝子の研究をしていくつもりでいました。
昨年同じ研究室の先輩である齋藤とこの会社を作ったのは、
ひとりで研究して成果をあげるよりも、データをより大規模に集め、
研究が加速するような仕組みを創りたかったからです。

弊社のサービスは、遺伝子研究の成果を元に提供されるわけですが、
このときサービスと研究とは相互に影響しあう関係にあります。
つまり、お客様に参加していただくことで新たにデータが蓄積され、
それによって研究が進み、サービスも更新される、
というサイクルになっているのです。

現在の科学で、遺伝子について分かっていることは本当にごく一部に過ぎません。
この研究が進まないと、遺伝子への人々の認識が止まってしまいます。
どんどんデータを集積し、新しい知見を加速しつつ出していく、
そういうサイクルを確立しないと、ゲノムという有用な情報を使っていけないのです。
そういう危機感があったため、会社を作り、このサイクルをスタートさせました。
もちろん、素直に遺伝子とその利用への探究心が
強くあったためということもありますが。

研究に軸を置いた独自の遺伝子解析サービス

もともと同じビジネスモデルによる会社がアメリカにあるのですが、
弊社サービスはそれを日本に初めて導入したものです。
アメリカのシステムを日本に持ち込み、独自に改良させていくことには、
サービス上でも研究上でも非常に大きな意義があります。

それはアメリカの人々と我々日本人とでは、
遺伝子情報が全く異なっているからです。
そもそも、遺伝子は人種によって全部違っています。
体格や肌の色、髪の色といった外見からして、相違点はいくらでもありますが、
その違いは全部遺伝子から作られているものです。
当然、外見には現れない体質や、病気への罹りやすさ等の要素についても違うわけで、
そこでアメリカでのシステムをそのまま持ってきても、
日本人にとって有用なサービスを作ることはできないんです。
そのためにも、弊社では主に日本人やアジア人向けのサービスを提供しています。

直近ではDeNAさんも同じようなサービスをはじめられましたし、
これから日本でもこういった遺伝子解析サービスは増えてくるでしょう。
現段階でも、遺伝子検査を行っている会社はいくつかあるのですが、
そのほとんどが、たとえばダイエット等、
ひとつの目的に関する遺伝子を1、2調べて、
そこに対してサプリメントを提供していくようなモデルをとっています。
そのような他社さんでは、もともと研究を目的としていないので、
そのレベルでの遺伝子解析利用にとどまっているわけです。

これに対して、我々はゲノムという遺伝子の全データを解析してしまいます。
お金や手間がかかる作業ではあるのですが、
研究に軸を置いた活動を進めていく上で、必要なこだわりだと考えています。

もともとこの遺伝子解析サービスという一点だけのビジネスを
しようとは考えていなくて、データを解析して何ができるかとか、
データを活用してその先にどんなビジネスに利用できるか、
というようなデータビジネスを行っていく計画でいるんです。
だから、まずは膨大なデータを集めることが一番大事で、
そこから多様なソリューションにつなげていくということが事業上の狙いになります。

解析によって得られる情報とは

お客様は、遺伝子解析を受けることによって、
潜在的な病気のリスクと体質について、ゲノムから知ることができます。
病気のリスクでいうと、たとえばどういうタイプのガンになりやすいのか、
糖尿病や高血圧になりやすいかなりにくいか、といったこと。
それから体質については、アルコールに対する耐性から、
血圧の傾向、乳酸値の上がりやすさといった一般的な健康診断の項目まで調べられます。

現段階でデータとして提示できるのは200項目ほどです。
そしてここが弊社のサービスの大きな強みなのですが、
先ほど述べたとおり遺伝子の全データを採取していますので、
今は何に関係しているのか分かっていない遺伝子についても追って報告できるんですね。

遺伝子は世界中の研究機関で日々研究されていますので、
今日分からなかったことも明日になれば分かっている、という可能性があります。
世界からの新しい分析結果をどんどんキャッチし、蓄積していくことによって、
こういう新しい項目が分かりましたということを
逐一お知らせしていくことができるわけです。
遺伝子データは一生変わることがありません。
だから一度検査を受けていただくだけで、
一生の間サービスを受けることができるんです。

身近なところでいうと化粧品なども、
人によって合う合わないということはすごくありますよね。
そういう項目についても解析を通じて分かってくると思います。
いずれは理解が体に関するあらゆる部分に及ぶことになるので、
そのときに弊社の膨大なデータが役立つことは間違いないでしょう。

認知度向上とプラットフォーム化が目標

長期的なビジョンとしては、データを更に集めて研究を続けていくこと。
これがもちろんありますが、一方でお客様に対しても、
もっと付加価値のあるサービスを提供していくつもりです。
そしてそのためには、何よりユーザーを増やさなければいけない。
だから、遺伝子解析サービスを社会に認知させていくことが
現在の一番の課題ですね。

実感としては、昨年と今年では認知度がかなり変わってきていると思います。
昨年のニュースで、女優のアンジェリーナ・ジョリーが
遺伝子検査をして、乳がんのリスクが高いということで
乳房を切除したというものがありました。
そのニュースがあってから、だいぶ遺伝子検査というサービスへの注目度が高まりました。
業界自体もすごく注目されていて、各メディアからの問い合わせも頻繁にいただきます。
今後は他社さんとも提携しつつ、
業界全体で遺伝子検査の重要性を広めていければと考えているところです。

将来的にサービスが普及し、100万人単位のユーザーを獲得した暁には、
自分の遺伝子情報を自分で知っていることが当たり前の世界になっているはずです。
そこで弊社が集めた膨大なデータがすごく役立つと思っています。
その段階に達した頃には、全員に同じサービスを当てはめるだけはダメで、
個人個人に合わせたヘルスケアを考える必要が出てくると思うのですが、
それを提供するためには、弊社の細部にわたる遺伝子情報が不可欠だからです。

そういう意味でも、この業界がそういう質的充実を目指す段階に移行したときに、
プラットフォームのような存在になっていたい、というのは大きな目標ですね。
さまざまな機関が連携・協力するハブとなるような組織を目指したいし、
まずはブレーンとなるような研究者を集めていきたいですね。

学生へのメッセージ

私自身も学生ですので、大上段からアドバイスはできないのですが、
ひとつ言えるのはどんどん挑戦してみるべきだということです。
挑戦したくても、リスクを考えて踏み切れないという人は沢山いると思うんですが、
何十年後かの自分の気持ちを想像してみると、
「そんな昔のこと、大したことなかったな」と思っているはずなんです。

私自身も、何か挑戦するときにはいつも自分と状況を客観視して考えます。
そうやって考えると、何でも挑戦できる気がするからです。
今までの自分の経験を振り返ってみても、怖いと思っていたことが
実際にやってみれば大丈夫だったという場合が多くありました。
だから、何にでも挑戦してみるべきだと思いますよ。

自立支援躾塾(株式会社プロテクト)代表取締役 原 良郎

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代表取締役 原 良郎

代表取締役 原 良郎

設立 1997年
事業内容
  • ひきこもり対応や家庭内暴力対応、出張教育、しつけ、特別合宿教育などで、子供に対する躾をやり直しつつ自立を支援
  • 自立支援躾塾では全国対応の無料相談
会社HPブログ http://www.tsubasa-t.com/
http://www.tsubasa-t.com/diary/

幼少期~自立支援施設立ち上げまで

幼少期は親の話によると、絵を描いたり粘土で色んな工作を作るのが好きで
あまり外で遊ぶ事は好きでは無かったような子供だったようです。

《幼稚園~小学低学年》

この頃から、腕力の強い人への憧れが強くなり竹登りで腕力と握力を意図的に鍛えてました。
常に腕相撲や相撲では敵なしの強さで負けた事は無かったです。
小学4年の通信簿の生活態度に『クラスのボスであり腕力でクラスを支配している』と書いてあり
母親が苦笑いしていたのを覚えています。

《小学高学年~中学1年》
地元の英語塾に小学生の頃から入る、得意な教科は英語と歴史、苦手なのは数学

《中学2年、1973年》
この歳に後の運命を大きく左右する映画「燃えよドラゴン」に出会う!
同時期に、近所の10歳年上の愛知大学少林寺拳法部のお兄さんに傾倒、弟子になる。

《中学3年~高校3年》

強さへの憧れは加速し、中学時代は武道係の部活動が無くて仕方なく
バスケット部に入るがバスケットの練習には参加しないで同好の親友と体育館の隅で筋トレに励む毎日、
2人で作ったトレーニングスペース、通称「虎の穴」と命名していました。

この頃で背筋力200キロ、握力50キロくらい

高校に入り念願の柔道部へ入る、新しく入部の8人には
中学で黒帯になっていたのも何人かいましたが、
毎日鍛えた桁違いのパワーで技術をねじ伏せて1年では最強となる。

勉強は歴史の授業以外、寝ていたり早弁したりしていましたね~(笑)

高校3年になり応援団長、襟の高い丈の長い学生服の着用を特別に許可されていましたね(笑)
同時にバイクも好きで校則に違反してバイクの免許を取得して
モトクロスやったり悪い仲間と走り回っていました。

自立支援施設童心塾→自立支援躾塾までの道のり

この仕事を始めたのは1997年(平成9年)で、
まだインターネットが普及していない時期だったから広報活動に苦労しました。

始めた時は『童心塾』という名前でスタートしたんですが、
最初のホームページができたのが2000年9月だから、
仕事始めて4年間は世間の人に知ってもらう為に色んな方法を試しました。

1番力を入れたのは《カンバン》です、日本中に設置したりしました。

北は、栃木、新潟、福島、南は九州、福岡、四国の全域に高さ600×巾900のカンバンを
2年かけて300枚設置したところ、凄い反響で生徒が集まってきましたね。
今でもカンバン見て相談の電話くれる人が時々います。

苦労といえば、苦労なんでしょうけど当時としては苦労とは思った事はありませんでした。

あとは、コピーをして自分で作ったチラシをマンモス団地でポスティングしたり、
どこに生徒がいるのか相談すらできない時でしたから、
精神病院の駐輪場に置いてある自転車の籠にビラを入れたり、
名古屋市内では新聞の折り込みにビラを入れてもらいました。

折り込みにはちゃんとした印刷会社で印刷した広告を作ってもらい、
新聞配達の会社に依頼して2回くらい折り込みチラシやってもらいましたが、
費用の割には集客にはなりませんでしたね。
あの時は、印刷と折り込みで150万円くらい使って集客配達皆無、
2人が相談にはきてくれたくらいでしたね。

公共の施設で、軽い引きこもりの会をやろうとして
募集してもらいましたが誰もきませんでした。

全てが0からスタートで、仕事としてのカテゴリーが、確立されてない業種で、
資金も無いし銀行も相手にもしてくれない時期で、
側から見たら苦しい時期だったとは思うけど、自分としては最高に楽しかった時期でもありました。

創業者のプライドは、これがあるから生まれるのかもしれません、、、、
親や人が作ったモノをどうアレンジしようが元から作った訳ではありませんからね。

今後について

名刺を渡した方からよく質問されるのが『本職は何をしてみえるんですか?』

こんな質問が8割くらい返ってきます(苦笑)

日本人の認識の中には、教育(大学等の専門知識は別)は
無料でなされるものという感覚が潜在的にあるんだとは思いますが
『他に仕事はしてないです』というと、不思議な顔をされる事も度々あります。

実際、これを書いてる今日まで20年間は他の仕事はやっていません。
というか、掛け持ちはできないですね。
いつ電話があるかも、わからないし緊急で500キロくらいの移動する事もありますから。

主題に戻すと、私が会社の代表だから会社として成立し続けるには
必要な売り上げを上げていかないと会社は成り立たない、
最低限それをクリアーしながら在校生たちに迷惑かからないような
新しい塾生を選んで入塾させていくのは今までも同じですが、
これからの時代は幼児教育に力を入れていくべきだと思いますから、
できる事なら私立の幼稚園を経営したいと考えております。

儲からなくてもいいから悪くなってしまう前に
子供と父兄を教育したいと考えています。

また、当たり前と言われてしまうかもしれませんが、
会社を存続させ続けれる人で、変化に強い人、
それで、社員に幸せな気分を味あわせれる人になっていきたいと思っております。

プライベートについて

趣味は、幼児と遊ぶ事です。
あとは格闘技観戦、野球も好きです。
みなさんに、休日はありますか?そんな事を聞かれたりしますが
厳密にいえば1年365日、休みは無いです。
元旦の朝、8時に電話もらって9時半には70キロ移動して仕事したこともあります。
何もしないで、自宅でテレビ観ていても状況としては待機してる訳ですだから
お酒も飲めないですよ(笑)飲酒運転になりますから。

ただ、それだけ1人1人大切に考えて、不測の事態が起こっても
対応できるようにしています。

今後共、1人でも多くの子供たちを支援していきたいと思います。

《 自立支援躾塾(株式会社プロテクト)代表取締役 原 良郎 》


名古屋フォレストクリニック 院長 河野 和彦

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院長 河野 和彦

院長 河野 和彦

設立 平成21年
事業内容
    • 認知症治療
    • 神経難病治療
    • 精神疾患治療
    • 大人の発達障害(ADHD)治療
会社情報 http://www.forest-cl.jp/
https://doctorsfile.jp/h/160334/df/1/
http://nagoyaforest.blog.jp/
https://peraichi.com/landing_pages/view/forest-clinic

クリニックを起ち上げたきっかけ

共和病院(愛知県大府市)に6年勤務していました。
理事長から「これからは病院で外来を行う時代ではないから」と話があり、
当初共和会が運営するサテライトクリニックに勤務するイメージでしたが、
自力で経営したほうが自分の思い通りにできると考え独立しました。

結局それは正解だったと思います。認知症は特殊な治療をしないと改善しにくいですから、
病院では病院長の許可が下りない可能性がありました。
全国から名古屋フォレストクリニックに来ていただいていますが、
それだけの価値のある治療はできていると思います。

名古屋フォレストクリニックの医療内容

■間違っている巷の医療■
お薬を処方するときに、医師が参考にするのが「用法用量」です。
これは、これ以上の量を絶対に処方してはいけないという安全基準ですから、
もし、これ以上処方して副作用が出たら医師の責任になります。

しかし、認知症の世界では、患者さんのほとんどが高齢者で、
なかにはレビー小体型認知症のように薬剤過敏性を特徴とする患者さんもおられるため、
細心の注意を払って、規定の1/3とか1/5という処方をします。
これが超専門医のやり方です。
抗認知症薬の世界では、患者に合った低用量を処方してはいけないというおかしな規則があって、
私は3か月間で、40万点の診療報酬が認められなかったことがあります。
患者さんの安全を考えると医師は損害を被るのです。

製薬会社が、集団統計での有意差をうまく利用して、
会社にできるだけメリットがあるように厚労省に用法用量を決めさせたように思えてなりません。
つまり、用法用量は集団統計で有意差がついたものが採用されますから
少数派(少しの量で十分効く患者群)は無視されるということです。

製薬会社にメリットがないような処方をした医師は罰則を受けます。
さらに、奇妙なことに低用量を認めなかった自治体は愛知県を含めて
9県(マスコミに回答を拒んだ自治体を除く)しかありませんでした。
審査に地域差があるのは、不公正ではないでしょうか。

■コウノメソッドの誕生■
神経難病を神経内科学では、パーキンソン病関連疾患というとらえ方をするために、
パーキンソン病治療薬だけで治そうとします。
それは無理な話で、フロンタルアタキシアという概念を導入して、
抗酸化物質を大量に補充することで、進行性核上性麻痺、皮質基底核変性症、脊髄小脳変性症を
コウノカクテルという点滴で15分後には歩行改善させるという方法を考案しました。

また、大人の発達障害の注意欠陥・多動性障害(ADHD)を認知症と誤診しないように、
また認知症と合併した場合は、ピック病と誤診しやすいことを見出し、
半年間で60人のADHDの診断や治療の軌道に乗せることができています。

コウノメソッドは神経内科が治しきれない疾患、
精神科でまだ確立されていないADHDの診療体制にも進出し、
中枢神経疾患の広い領域を守備範囲にできるようになっています。
桜の花出版の「国民のための名医ランキング」では、
2年連続で老年部門1位の評価を得ています。

私は平成28年にバンクーバーの学会に招待され、
そのときビクトリア州の病院経営者から6年後に建築する病院では
コウノメソッドを採用すると即決していただきました。
また、コウノメソッド実践医はアメリカ、マレーシア、中国などで講演しています。

名古屋フォレストクリニックを経営していて、
これまで一番大変だった出来事

患者さんは共和病院から約1000人移動していただけたので、
患者さんには困りませんでした。
大変だったのは、事務員です。
新規開院ということで60人の面接を経て4人を選んだわけですが、
能力よりも協調性が一番大事だと思います。

最初からレセプトの能力のある方を選ぶより、
一から学んでいただいた方が結局は最後まで残りました。
一番大事なものは、妻の協力です。
院長1人では経営できないとはっきりわかりました。

今後のビジョンについて

認知症は誰でも診られる時代になってきました。
常に勉強して最良の治療法を創造していかないといけません。
平成29年から大人の発達障害も診られるようになりました。
発達障害は、あらゆる精神疾患の温床になりますし、
認知症発病のリスクも高まると言われています。

発達障害を知ることで、国民の精神病理が俯瞰できるようになりました。
認知症を介護している方がアスペルガー症候群だと、
お年寄りに暴力をふるうという可能性もあります。
ですから、ご家庭の皆さんの状態をすべて把握して、
つらければご家族も診させてくださいとよびかけています。
それが真のファミリークリニックだと思います。

《 名古屋フォレストクリニック 院長 河野 和彦 》

株式会社こうゆう 代表 高濱正伸

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代表 高濱正伸

代表 高濱正伸

設立 1993/2/2
事業内容
    • 学習塾及び幼児教室の運営事業
    • 野外体験イベントの運営事業
    • 講演会・研修会の運営事業
    • 教材開発事業
    • 公教育機関への学習指導・運営指導事業
会社HP http://www.hanamarugroup.jp/
http://www.hanamarugroup.jp/hanamaru/

花まる学習会について

“花まる学習会”という学習塾をご存知でしょうか?
思考力・読書と作文を中心とした国語力・野外体験を三本柱として、
将来「メシが食える大人」そして「魅力的な人」を育てる学習塾です。
子育ての大半を母親が担う現在、「イクメン」と呼ばれる子育てに積極的な男性も増えてはきましたが、
それでも育児に対する悩みをもつ人は多くいます。
特に近年は、社会の先行きも不透明な事から、
子どもたちの将来を不安視する声も少なくありません。
そんな子どもたちの将来を憂いて、“花まる学習会”を立ち上げたのが高濱正伸氏です。

高濱正伸氏は、1959年の熊本県生まれ。
1993年、「この国は自立できない大人を量産している」という問題意識から、
「メシが食える大人に育てる」という理念のもと、「国語力」「思考力」「野外体験」を
主軸にすえた学習塾「花まる学習会」を設立しました。
当初は20人ほどの規模であった”花まる学習会”ですが、会員になった母親たちの助力もあり、
設立23年目で会員数が20000人を超し、高濱氏が開く講演会などの参加者は年間30000人にのぼります。
では、20人ほどの規模からここまでの学習塾を作り上げるのに、高濱氏はどのような道を歩んできたのか? 
この記事ではその過程をご本人に直接伺ってみました。

生い立ち

私の出身は熊本県人吉市。温泉で有名な山深い街です。
医師の父と元看護師で専業主婦の母、2歳上の姉と2歳下の弟の5人家族。
甘え上手な弟と口が達者な姉との間で、あまり特徴のない子どもだったかもしれません。

恥ずかしがり屋であまりしゃべれない子どもでしたが、
小3の時の担任の中務(なかつかさ)先生が自信を持たせてくれたことで、変わることができました。
子どもの頃は、毎日外で遊んでいました。野原を駆け回り、川で泳ぎ、
クッタクタになるまで遊んでいました。
そして、夏休みの宿題は決まって8月31日に焦ってやっていました。

子ども時代の両親の教育方針

両親から「本を読みなさい」であるとか、
「勉強しなさい」などと言われたことは一度もありません。
父から「跡を継いで医者になれ」と言われたこともありません。
いい意味で放っておいてくれる両親だったのだと思います。

花まる学習会設立時のエピソード

花まる学習会を立ち上げる前は予備校講師で食えていけましたが、
太平洋戦争末期に壮絶な硫黄島の戦いを指揮して帰らぬ人となった栗林忠道中将のお嬢様に
「一生をかけるに足るのは誰もやっていないことに挑戦すること。その方が面白いでしょ!」
と背中を押していただきました。
立ち上げて最初の3年は赤字でしたが、そのお言葉のおかげで乗り越えられました。

お母様たちを協力者に

立ち上げ当時の私は理屈ばかりを言う理系男子でしたが、
一生懸命だったので皆さんにかわいがっていただきました。

エネルギーと真剣さを買っていただいたのだと思います。
当時はわからなかったのですが、
あの時お母様たちが何かを感じ取ってくださったのではないかと今では思います。

実際に子どもを育てた時に学んだこと

花まる学習会で毎月配付している「花まるだより」に
私が子育てをして感じたことを寄稿しております。
以下に紹介いたします。こちらをお読みいただければ幸いです。
-----------------------------------
<前略>
そんな私に、重度の脳性麻痺で知的にも肢体も不自由な息子が生まれました。
一般の子育てと同じくらいには大変でしたが、
可愛いがる気持ちの方が勝って、とても幸せな日々でした。

そんな私にあるひらめきが訪れたのは十年くらい経ったときでしょうか。
「あれ? 俺は実にだらしない
(何せ三浪四留。親の金で映画だ音楽だ本だ競馬だ囲碁だとのめりこんだし、
初就職が三十三歳です)人間なのに、わが子が生まれてこの方、えらく頑張る人間だったぞ」
という俯瞰した見立てが浮かんだのです。

そうか!個人として何ができるかばかり考えていたから出口が無かったのだ。
息子は、単独では偏差値がつけられないほどの存在だが、私と組み合わさることによって、
社会に対して仕事をすることができたんだ!
パートナーとしてカチッと組み合わさったとたんに、二人で一つの大きな力となった。
もっと言うと個人としては何もできないように見える息子が、
ダメダメ人間の私を立て直し、無限大のエネルギーを注入してくれたのです。

誰かと組み合わさって発揮するパートナー力。
これが障がいの子の持つ大きな実力だと思っています。
自分自身は何も化学変化しないけれども相手を活性化する触媒とも似ていますね。
私は、恐らく妻というパートナーと出会うことで「遊び人から大分遠ざかった」し、
息子が生まれたことで、心が整えられ大切なものを見失わずにすみ、
ひたすらに頑張りぬけたのだと思います。
テストの点数で順位付けし一直線上に振り分ける個人戦の思想に、
私自身も洗脳されていたということですが、このことを思いついたときは、嬉しかったです。
-----------------------------------
花まるだより2016年10月号「高濱コラム」より

子どもの教育について今後新たに取組もうとしていること

設立以来、「どんな子でも伸ばしたい」という想いは変わりません。
今後は、これまで中々サポートが行き届かなかった「右上」のところ、
さまざまな部分で秀でている層に対しての特別支援を進めたいと考えています。

これについては、単に勉強というだけではなく、スポーツや芸術などの分野も含んでいく予定です。
また、国内だけでなく、海外の過疎地における教育にも力を入れ、
人類レベルでの教育を受ける機会の均等化に貢献したいと考えています。

《 株式会社こうゆう 代表 高濱正伸 》

医療法人社団上桜会ゆうメンタルクリニック 理事長兼総院長 安田雄一郎

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理事長兼総院長 安田雄一郎

理事長兼総院長 安田雄一郎

設立 2008年4月
事業内容
    • 精神疾患の治療(うつ病、不眠症、パニック障害、パーソナリティ障害、依存症、発達障害等)
    • カウンセリング
    • 脱毛スキンクリニック(皮膚科)
会社HP https://yucl.net/
https://yuik.net/
https://yuk2.net/
https://yusb.net/
https://yusn.net/
https://yakb.net/
https://yubt.net/

どのようなきっかけでクリニックを起ち上げたのでしょうか?

自分の周囲から、
「メンタルクリニックにかかりたいけど、今すぐ見てくれるところがない」
「診察を受けたいけど、初診までに三ヶ月待ちと言われた」
というご意見を多くいただいたためです。

実際、精神科・心療内科にかかる患者さんは非常に増えていますが、
多くのメンタルクリニックではドクターが一人で診察しているため、
たいていの場合、診察する余裕がなく、
初診まで数ヶ月待ちということがザラにある状態でした。

実際、大けがをして救急病院にかかる際に
「初診まで三ヶ月待ち」なんてことになってしまったら、
ほとんどの方が悲鳴をあげます。

精神科・心療内科のみこの状況なのはおかしいと考え、
「つらいとき、すぐに」をモットーとして、毎日、初診を受けられる
メンタルクリニックを作りたいと思って、ゆうメンタルクリニックを立ち上げました。

クリニックを経営していて、
これまで一番大変だった出来事はどのような事でしたか?

開院した後、想像よりずっとたくさんの患者さんがいらして、
朝から晩まで休みがない、ということはザラでした。

また自分自身、「マンガで分かる心療内科」などのマンガを制作し、
また書籍なども常に出しているため、診療が夜に終わってから
その原稿を書かなければいけない、という状況が続きました。
これが一番大変だったかもしれません。

その後、多くのスタッフやドクターなどに勤務いただき、助けていただくことで、
今こうしてやれていると考えております。

感謝の念を抱くばかりです。

ゆうメンタルクリニックの強みについて教えてください。

当院の強みは以下の4点です。

(1)カウンセリングを重視した診療を行っております。

(2)特定休日以外は年中無休で診療しているため、誰でもすぐに受診することができます。

(3)多くのドクター・カウンセラーがいるため、常に誰かが診察を受けることができます。
 他のクリニックのように「初診は三ヶ月待ち」ということがなく、かかりたいときにすぐに受診できます。

(4)秘書が診察補助を行うことで、ドクターが患者さんと目を合わせて診療を行うことができます。

「つらいとき、すぐに」をモットーに、
一人でも多くの方に診察を受けていただきたいと思っています。
お気軽にご連絡ください。

今後のビジョンについて教えてください。

さらに多くの患者さんの役に立てるように、ゆうメンタルクリニックの診療スタッフや分院を
より充実できればと考えております。

患者さんはお気軽にご連絡いただきたいですし、
またスタッフ希望の方もお気軽にご連絡いただければ幸いです。

《 医療法人社団上桜会ゆうメンタルクリニック 理事長兼総院長 安田雄一郎 》

三田国際学園中学校・高等学校 学園長 大橋清貫

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学園長 大橋清貫

学園長 大橋清貫

設立 1902年
事業内容
    • 相互通行型授業
    • ICT教育
    • 学習支援
    • 教員研修
会社HP http://www.mita-is.ed.jp/

グローバル時代に生き抜く子どもたちを育てる三田国際学園として、
新たなスタートを切ることになったきっかけを教えてください。

まず、2005年にトーマス・フリードマンの「フラット化する世界」という本が出版されました。
それがわたしの教育人生において、最も影響を受けた本の一つですが、
インターネットが世界に普及していく中で、世界のどこでもインターネット環境があれば
子どもたちは同じように学べるというものでした。

先進国だけが圧倒的な技術や情報優位性があって、
先進国の子どもたちだけにアドバンテージがある時代はもう終わっています。

日本の教育を考えた時に、日本が経済成長をしていく中で、誰もが同じようにできるようこと、
教えてもらったことが素早くできることを教育の柱にしてきた現在の教育では、
世界にはとても太刀打ちできないと思ったのが三田国際学園作りの原点です。

この本を読んだ時に、人口が多い国が勝つなと思いました。
例えばインドや中国です。

人口の数の桁が一ケタ違いますので、インドの同じ学年の上位1万人と
日本の上位1万人とでは全くレベルが異なります。
1万人のレベルが違います。人数の分母が異なりパーセントが違うわけですから。

コンマ何パーセントの世界、1パーセントでも、同世代の中では全く違うわけで、
そういう時代に子どもたちは戦っていかなければならないのに、何の武器も持っていないままで、
大学入試で試されるのは知識集約問題という状況です。
「生徒たちの大学入試がこうだから、それを突破しなければ先がない。
だからそのための受験勉強を高校の時にしなければ。」というふうに
高校は思ってしまっています。

18歳の瞬間最大学力を高めるだけではなく、世界のやり方に目を向け、
将来を見据えた教育に変えようと思ったのが最大のきっかけですね。

当時、こういった学校はありませんでしたからね。
今年ちょうど1期生が高校1年生になりましたが、7年前、5年前には
こんな学校はなかなかなかったので、三田国際学園が1つのベンチマークになっています。

学園を経営されていて、今まで一番大変だった出来事はどのようなことでしたか?

スタートの時は、錆びついた滑車と言ってしまうと昔からいた先生に
失礼になってしまいますが、固まってしまっているものを動かすことは本当に大変でした。

発想の転換はなかなか難しいですから、「相互通行型授業って何?」とか、
「今までの授業だって自信がある」という先生は最初はいらっしゃいました。
当然のことですが、10年、20年、教師をしていると、みなさん自分の得意技をいっぱい持っています。
こういう風に教えると分かりやすいといった技術、そして自信があります。
「今までの授業だって立派に成果がでるんだ。自分の授業を一度でいいから見に来てくれよ」
というような発想になってしまいます。

その考えを「相互通行型」に変えることが大変でした。
今では先生方に同じ方向を見てもらうことが当たり前になっていますが、
当時は本当に大変でした。

その頃によく先生方と行った議論があります。
本校の近隣には多くの学校があり、隣には都立校があります。
部活だと思うのですが、先生が生徒を引率して走っていたり、
一生懸命練習している姿、先生方の熱心な姿もよく見かけました。

あの先生の様子を見ると、きっといい授業をしていることが想像できました。
またグラウンドにはナイターの照明がありました。教育環境も良いことがわかります。
そこで、本校の先生に隣の学校に勝っているものは何かを問いました。

本校は年間で授業料を約50万円いただきます。向こうは無料です。
50万円対0円の授業料では勝負が付いてしまっている。
50万円以上のアドバンテージがこちらになければ、他の学校が選ばれるのは当然ではないかということです。

先生方からの回答で、自信を持って本校が勝っているところはなかなか挙がりませんでした。

勝っていることがないのに授業料が高ければ、保護者様はこの学校を選んではくれない。
そこまで考えたときに先生方の考え方が変わりました。
保護者様にそれだけの大金をお出しいただくのであれば、
それだけの価値がなければならないことに気がついたのです。

そうして先生方に納得してもらいました。
今は50万円以上の価値があると、ご寄付をいただく機会も多くなりました。
ご寄付は私立学校の経営の助けになるわけですが、この学校に価値がある、応援したくなる、
ということでご家庭からご支持いただいています。

学園の強みについて教えてください。

先生方が同じ方向を見て、一枚岩になっていることです。
全員が相互通行型授業でPBL(Problem/Project Based Learning課題解決型学習)をします。
また最初は信じられないと皆様おっしゃられるのですが、
本校では年3回ある全体研修の際に教員のペーパーテストをやっています。

その内容は難関大学入試問題ですね。生徒が学ぶことですから、
先生方が解けないのでは話にならない、ということで受けてもらっています。
最初は驚きですよね。ただ、本校では先生を試すなんて何事だ、という空気にはならず、
今では春夏冬の風物詩になっています。
今年はどこの大学の問題だろう、と話が上がることもあります。教職員の一体感を感じます。

また本校では21人のネイティブスピーカーが常勤でいます。
全国に数校は同様の人数を抱えている学校もありますが、普通の学校はこんなにも人数がいません。
また、外国人の先生たちの部屋は別々というケースも多いです。

本校は職員室の中にネイティブスピーカーの先生の席があります。
日本人の先生の目の前が外国人の先生ということはごく普通です。
イギリス人、オーストラリア人、日本人など職員室自体が英語と日本語のクロスマッチになっています。
英語科の日本人の先生はもちろんですが、他教科の先生も英語力を磨いていただいていて、
基本的にメールは英語で打たなければならないルールがあります。

ネイティブスピーカーの先生は漢字が読めません。
中にはなんとか読める先生もいますが、どうしても難しいところがあるからです。
こういった中で、ネイティブスピーカーの先生も含めて、この学園の一員である、
という意識が非常に強いです。
先生方は相当努力してくださっています。だからこそ職員室には一体感があって、
日本人・外国人ということに関わらず、本校の教育を一緒に作っていこうという一体感があります。

よく聞かれるのが、何故そんなに良いネイティブスピーカーの先生が集まるのかということです。
わたしも不思議に感じますが、彼らの情報網の中で
「三田国際学園がいいぞ」という話が広まっていると聞きます。
話を聞いて、実際に面接に訪れると学校の方針にも納得できる。
彼らも三田国際学園の先生たちと同じレベルではないと、居づらくなってしまうと思います。
採用面接でもネイティブスピーカーの先生が採用責任者として立ち会っているので、
彼らが承諾しないと採用されないようになっています。

生徒たちに社会で活躍できる資質を育んでもらうために、
大橋氏が特に伝えていきたい事などありましたら教えてください。

生徒たちに言い続けていることは、
“自分で考える力を持て”、“自分の考えを常に持て”ということです。

“発想の自由人”という言い方をしていますが、この学校の生徒たちはみんな自分が
発想の自由を持っているかを問われているということがわかっていて、
その時々に人の考えではなくて、とにかく自分の考えをもつことの重要性もわかっています。

そして人の考えを聞く時には、クリティカルにロジカルに聞くことを習慣にするようにというのを
ずっと話しているので生徒の思考力がさらに高くなります。

いずれ中学生も高校生も社会に出る時が来て、その時に社会で通用する、
評価される力というのは、自分で考える力を持っているかどうかだと思っています。
何か問題に直面した時に、「わかりません」、「習っていません」ではなく、
やったことのないことこそ、自分の考えを発揮できる時なんだということを伝えていて、
とてもその意識が強い学校です。

お茶の水女子大学が昨年から「フンボルト入試」という試験を始めました。
簡単に言うと図書館に行って自由に調べて書きなさいというような2日間にわたる試験です。
おかげさまでその入試で合格をいただいた生徒がいるのですが、
試験内容が自由に書くことを求められる内容であればあるほど、本校の生徒は実力が発揮されます。

また、昨年上智大学には11人が合格しました。
英語力や思考力を問う入試には本校の生徒は強く
2020年の大学入試改革も本校にとっては追い風だと思っています。
本校生徒の最大の特徴が、「白紙答案に書かせたら負けないぞ」ってことですね。
海外大学への希望者も多くアメリカの4年制大学に合格した生徒もいます。

生徒一人ひとりが自分のキャリアを見据えた選択をして、
国内外を問わず希望の進路に進み、そして社会に出て活躍した時に、
「現在の自分の原点は三田国際での6年間」と言ってもらえるよう、
これからも「三田国際教育」に邁進していきたいと思っています。

《 三田国際学園中学校・高等学校 学園長 大橋清貫 》

株式会社ジェイトップネットワーク 代表取締役CEO 菅野 公紀

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代表取締役CEO 菅野 公紀

代表取締役CEO 菅野 公紀

設立 2000年6月
事業内容
    • スクール運営事業
    • プロダクション事業
    • 指導者育成事業
    • 販売及び特許ライセンス管理事業
会社HP http://www.jtopnet.co.jp/

しがらみからの脱却を目指す

大学卒業後、普通にサラリーマンを続けていた私は、
はじめから起業への想いを持っていたわけではありませんでした。
当時はいわゆるバブル時代。
上場企業であれ、大手企業であれ、どこも人手をほしがり、
簡単に内定を取ることのできる時代でした。
例にもれず私も、時代の恩恵に授かり大手メーカーへと就職を果たすことになります。

大きいところに行って、大きなことを成し遂げたい。
その時、私はそのようなことを考えていましたね。
大きい傘の下に入っていたほうが、
大きなことを可能にすると当時の私は考えていたのです。
しかし、その想いが叶うことはなく、
その会社の一社員として二年を過ごして転職することとなります。
大手の中、自分が歯車に過ぎないという事を、その時に強く感じましたね。

大手企業には様々なしがらみが付きまといます。
取引先との関係、上層部と末端の差など、
様々な要因が大手ならではの仕組みを生んでいます。
その仕組みを知ることができたという意味では、
その二年間は決して無駄ではなく、
むしろ、その二年があったからこそ、今の私があるといえますね。

ダンスは好きな人と踊りたい

大手の企業にいて感じた一番のしがらみは、
先述した取引先との関係でした。
本当に良いものを提供する会社ではなく、
これまでの関係を重視した会社としか取引を行えない。
この状況に疑問を持ち始めたのです。

もっとオンリーワンの人や企業とつながり、
ネットワークを作り出していきたい。
その想いが、ジャパントップネットワークという会社を作り出したのです。
やはり、ダンスは好きな人と踊りたいでしょう。

とはいえ、当時転職したばかりの私は、まさに井の中の蛙にすぎませんでした。
新しい職場で、私はまったく活躍できなかったのです。
大手企業に勤めていた時は「新人営業にしてはやるな」などと言われ、
いい気になっていました。
しかし、それは私が疑問に思ったしがらみが生んだ成績に他ならなかったのです。
取引相手は皆が身内のようなもの。
そのような環境において、失敗などしようがないのです。

ここから私は、精進の日々を送ることになります。
土日を使って研修会へ。
そこでは、様々な場で活躍し散る人と出会うことができました。
このような場に来てる人は、皆成功している人であったのです。

本当に必要な人へ

その後、起業へと至るのですが、その研修会に来ていた人と同じことを、
弊社が業務を行う環境にも重ねる事が出来ます。
ある成功している人が、より上を目指すために来ているのであって、
本当にその研修が必要な人はそこにはいませんでした。

同じように、本当に健康になるべき人が、
弊社のスクールには少ないように思えるのです。
健康になることを考えていない人たちにこそ、本当は知ってほしい。
そのためにどのように動いていけばいいか、
それが現在の課題の一つとなっています。

状況の改善には、いくつかの方法があるでしょう。
一つは、こちらから出向いて行って直接伝えていく方法。
しかし、まだまだ必死に運営をしている現在、
そこまでのことはできませんね。
一番現実的なことは、新しい地に進出していくことだと私は考えています。
より多くの場所に、スクールを展開していき、その地の人々に利用してもらうこと。
これが、現在目指すところですね。

様々な展開を目指して

このような展開は、なにも日本の中にとどまる話ではありません。
日本の主要都市を離れて、アジアの国々への展開も視野に入れて動いています。
具体的には五年以内をめどに、展開をできたらと考えていますね。
アメリカやヨーロッパ、あるいは韓国や中国などの
アジアの中でも発達してきている国々ではなく、
やはり今は発展途上の国々が目を向けるべき場所でしょう。

そのような、これからを作り出していく国々と手を取り合って、
新たなステップを踏めたらと思います。
実際に、香港からスクールに習いに来て、
帰国してインストラクターをしている人もいます。
そのような展開が今後も増えていくといいでしょう。

また、現在弊社は通信制高校も運営しており、
三年間で高卒の資格を取ることができます。
高校を始めた当初は、
芸能界で働いているような子どものみが資格を取るために通う場所でした。
しかし現在は、学校になじむことのできない子、
不登校や引きこもりの子なども通う場となりつつあります。
好きなことを通じて資格を取り、その先の大学へとつなぐことができるのです。
そのような展開を見せる中、徐々に大学の仕組みなども作っていけたらと現在は考えています。

1+1で3以上を狙え。

現在、日本の人口は一億二千八百万人。
弊社が目指すのは、その人口に対して1パーセントの規模。
すなわち、一万二千八百人。
それだけの規模を目指していきたいという事ですね。
数値的にみると、それを可能にするには最低でも10か所の都市で展開することが必要です。
それに向けて、より一層の進歩をと考えているのです。

弊社は、現在120ほどの講師やパフォーマーを採用しています。
その人たちがどのような環境で輝くのか。
その環境作りも、大切なことです。
優秀なスポーツ選手がいたとして、その人だけが突出していても、
決して優秀な成績は残せません。
必ずそこには周りをサポートする人たちがいるはずなのです。
当然、エージェントだけが輝くのでもいけない。
お互いが尊重しあえる環境。
フィフティーフィフティーで尊重しあえる環境を提供することが大切だと私は思います。

このような環境が整えば、1+1で3以上を生むことも可能になるのではないでしょうか。

Willがスキルを生む

この業務には、特別な資格が必要という事はありません。
ただ、心がある人、意志がある人でなくてはならないのです。
興味があり想いを持っている人であれば、
その人のWillはスキルを生むことになるはずです。
そのような思いを持った人に対して、良い環境を弊社は提供できると思います。

たとえば、経費や営業利益の面。
弊社では、これらの数字をすべて見せていくガラス張りの経営を行っています。
本当のことを見せていくことで、本人も疑いを持つことなく、
そして改善に向けての努力をするもの。
そこから出てくるパフォーマンスに対して、
素晴らしいと言ってあげられる環境が弊社では整っているのです。

また、弊社に限った話でなく、このような想いを持った人物、優秀な人物は、
ベンチャーという環境に身を置くべきだと思いますね。
冒険する人が少なくなった現代。
車を持たない、旅行しない、女の子に御馳走しない。
このようなことなかれ主義の人が多いようです。
この意見がおやじくさいんですけどね(笑)
しかし、勇気を持って行動できる想いを持った人には、ぜひ弊社のような、
ベンチャーという場を見てほしいと思います。

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